2011年11月04日

冷泉家住宅一般公開

かつて京都に住んでいた頃、あれは同志社大学の一部で、そのうちのなにか由緒ある古い施設だろう、、、、とてっきり思っていました。

それがいつのころからか、和歌守の家として有名になって初めて、あれが冷泉家だったのか〜といまさらながら。

冷泉家、といえばまず私はメディアにもよくでてくる七夕の乞巧奠を思い出します。

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昨年、文化博物館で開催された王朝の和歌守展
も行きましたよ。

説明するまでもなく、俊成、定家、為家の和歌の神様のような方々を祖にもつ名家です。
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天皇がまだ京都におられた江戸時代の御所周辺の地図です。
今は御苑にとりこまれてしまった近衛家、九条家、閑院宮などの文字が見えます。
これらのお公家さんたちは、維新とともに東京へいってしまったため、建物は残っていません。

けれど冷泉家は維新の後も京都にとどまり、そのおかげで空襲で焼けることなく、御文庫(冷泉家伝来の貴重な典籍、古文書をおさめる。今でも冷泉家の信仰の対象として、当主は参拝されています)もうしなわれることがなかったのです。

なにが幸いになるかわかりませんね。
冷泉家ファミリーだけでなく、今にその古文書や典籍を見ることができ、現代まで唯一残る公家住宅(江戸時代)を見ることができるわたしたちにとっても。




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今季、この数日だけの一般公開です。
(例によって、写真はNGですので、画像ありません。)

まず表門を入ってすぐ見える立蔀。
腰掛け待合いみたいな、供待ち腰掛け。
広くて、おくどさんの残る台所土間。

お座敷には唐長の牡丹紋の襖が。
数年にわたる平成にはいってからの大改修で、白っぽかった襖紙の裏から、かすかに判別できる牡丹紋様が発見され、これまた唐長にのこっていた江戸時代の牡丹紋版木から復元したものとか。
ここらへん、いかにも京都らしいお話。


お庭の中には小川が流れ、内庭には左近の梅(古代は桜でなく、梅だった)右近の橘(かわいい実が黄色に色づいていました)、乞巧奠のしつらえをするのはどこらへんかなあ。

ふと見上げると周りにそそりたつのは赤煉瓦の同志社大学の建物。
まあ、マンションなんかにかこまれるようりは良いかも。

当主が日々礼拝した御文庫は、残念ながら後ろ姿しか見えませんでした。

屋根はこけら葺き、瓦も屋根の曲線もどことなく優美でかわいらしい感じがします。
武家風でも寺院風でもない、これが公家の雅なのね。

現在この住宅は重要文化財なので、冷泉家の方々はもうこちらには住んでおられません。
いろいろな季節の行事や和歌会などの時にだけ、ここを使われるようです。

まず、住んでいたらお掃除たいへんそう。
それに冬寒そう、、、、
座敷の裏に当たる場所の建具がサッシになっていたのは、ここにお住まいだった頃の名残でしょうか。




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あんまり写真がないのもさびしいので、表門の留蓋瓦の玄武といわれる瓦を。
こちらは阿吽の阿。

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こちらは吽。

玄武は四神相応で北の守護神。
かつて冷泉家がもともとあった場所が都の北の方だった、ということに由来するのだそうです。

おまけ。


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菊。

出口近く、やたらと梶の木があっちにもこっちにもあるのに気づきました。




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そうか、乞巧奠のとき、梶の葉は主役ですものね。


わが家の梶は全然分葉しないのですが、こちらの大木にも分葉が悪い木もあって、まあ、梶の木ってそういうものなのね、と妙に納得。


冷泉家を辞し、東に歩いて加茂大橋西詰のCafe BonBonへ。
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ここは昔銀行の倉庫だったんですよ〜。
高い天井にそのころの名残が。


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私は加茂大橋から見る大文字が一番すばらしい、と思います。
posted by しぇる at 21:26
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