2012年05月20日

下御霊神社〜還幸祭

寺町通り散策のときにはいつも前をとおる下御霊神社

いつもはひっそりとほとんど参拝の方を見かけないのですが、、、、


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おおお!
寺町通りがなんだかいつもと違う。
(ちなみに正面は革堂・行願寺さん)


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寺町通りの東側にはずら〜っと露店がたちならび、場所のオリエンテーションがつかない[E:coldsweats02]

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前夜の宵宮をチラ見したのですが、これに灯りがともっていつもの寺町通りではないような幻想的な雰囲気でした。


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さて、下御霊神社。

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境内には射的などもでて、あらにぎやか[E:happy02]


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神輿をおさめている、いつもは閉まっているお蔵です。

重そうな扉の内側の鏝絵がすごい。

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一側は菊の御紋(御所の産土社ゆえ)、その対側はここの社紋、花沢瀉に水。


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う〜ん、ちょっと修理が必要かも。



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さて、御所南といわれるエリアは下御霊神社の氏子なのです。

いろいろ有名な老舗や店がひしめく場所でありながら、歩くととてもコンパクト。
神輿と神幸列(行列)はこの氏子エリアを一日かけて別々のルートで巡行するのですが、歩いているといろんな場所でこれに出会えます。




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お、まずは行列から。

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御霊神社というからには、祇園祭と同じく、平安初期の神泉苑の御霊会を嚆矢とするので、りっぱな剣鉾も巡行します。

下御霊神社の御祭神は、政争に負けて悲憤のうちになくなった(いかにも都に祟りそうな)八座。

なかでもビッグネームは崇道天皇。
早良親王のほうが通りが良いですね。
あとで都に疫病がはやった祟りの原因とされ、あわてて崇道天皇と追号されたとか。(by 桓武天皇)




祟りといえば最強の祟り神がNHK大河で佳境に入っているところの崇徳上皇。
明治天皇も、昭和天皇も、即位にさいしてまず崇徳上皇の御霊鎮めをしているんですものね〜。

あら、ちょっと脇道にそれました[E:coldsweats01]


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これは当時の武官の姿のなのでしょうか。
子供会は春日学区、銅駝学区など、、、(いずれも統廃合で今はなき小学校ですね。)


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御鳳輦。
大正年間に作られて、神坂雪佳もデザインに関わったのだそう。


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お馬も行きます。


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当家(とうや)飾りもありました〜。



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なにより氏子町内の人たちが、神輿や行列が通るのを家の前で待っている姿がいいですね。

特に、古い町家の前で、お年寄りが床机を出して座っておられる姿には風情があります。


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さてさて、神輿の方も見なくっちゃ。

これは木屋町二条を行く神輿。

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これは御所南のどこかの通りでであったところ。

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ホイットホイット!

の、かけ声も血湧き肉躍る(?)(←お祭り体質なもので)

担ぎ手は、今年は氏子連だけに限ったそうで、ちょっと平均年齢高いかな。


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といっていると、今度はまた行列に再会。

碁盤の目の通りを東奔西走、北上南下していると楽しいわ〜[E:happy02]


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これは何かの故事なんでしょうか。
それとも竹林の七賢???


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あら〜こんどは夷川通りでお休み中の神輿が。

お休みどころは家具の夷川でも一、二をあらそう大きな家具屋さん。


そんなこんなで碁盤の目のあちこちで行列と神輿にぶつかりながら、ちょっと疲れたので寺町通りのこちらへ。


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こちらも祭礼仕様の一保堂さん。
(屋台が並ぶので見つけにくかった!)


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玉露を自煎でいただく。
美味[E:lovely]


posted by しぇる at 21:40| Comment(10) | TrackBack(0) | 京のお祭 | 更新情報をチェックする

2012年02月03日

須賀神社〜吉田神社・追儺式2012

今年もいろいろなところで節分の行事がおこなわれましたね。
私はやっぱり昔から徒歩圏内の吉田神社です。

丸太町を北上してまずはこちらへお参り。

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古くは岡崎神社の東天王社に対して西天王社ともよばれた須賀神社。

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なんといっても最近有名なのが懸想文売り。
イケメンという情報あるも確認できず。


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だって目しかみえない。



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売っている懸想文のお守りの効能は「顔かたちが良くなり、良縁に、、、云々」なので、すでに手遅れの私としては昨年はスルー。

でもでも、きくところによると箪笥にしまっておけば着物がたまる、、、らしいので、今年はもとめました。
(おほほほ、、、着物はいくらあってもよいわ[E:happy02])


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ちなみに中はこのような懸想文が。

「辰郎様へ   美卯まいる」

と書いてあるのは卯年から辰年へ、ということなのね。
来年はまた辰から巳になるのでしょう。

さて須賀神社からさらに北上して吉田山をめざします。
途中、昔住んでいた近衛通りにでると、、、、



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あああ〜っ!!

喫茶このえがついに更地に!

学生時代この喫茶におせわになったK大OBはたくさんいると思います。
おじいさん、おばあさんがええ味出してました。
ずいぶん前から空き家になっていたのは知っていたのですが、そうか、ついに更地になったか。

こうしてまた思い出になってしまったわね[E:weep]

(在りし日のこのえ、vivasan様がアップされていますのでリンクしておきますね。こちら


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気を取り直して吉田神社へ。

2日は曜日巡りが良く、今年は追儺式を見ることができそうです。
(学生の時は毎年みてました。)






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境内では3日の火炉祭の準備が。
まだ燃やす古いお守りなどはそれほど集まっていませんが、明日にはたぶんぎゅうぎゅうに詰め込まれていることでしょう。

深夜近くの火炉祭のほうは昨年行きました。



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巫女さん達も御豆さん買うのね。



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追儺式の始まる直前。
儀式の方は、この場所では見えませんが、この前を鬼たちや方相氏(ほうそうし)が通ります。


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BGMは雅楽とホラ貝の音。
追儺の行列が降りてきました。

追儺の儀式はもともと禁中でおこなわれていた疫鬼をおいはらう陰陽五行と深く結びついた儀式とか。

寒の頃、古い年のきわまった陰(=鬼)の気を駆逐し、新しい年(=立春2月4日)を迎えるための儀式だったんですね。

陰陽師が祭文を読み、方相氏が矛と盾を持ち、その矛を地面に打ち鳴らしながら「鬼やらい、鬼やらい」と言って宮中を歩きまわる。そしてその後には殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続く。
(桃や葦にも古来より邪気を祓う力があるとされていた)




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(ぶれてますが)この方々が最後に桃弓を射る王卿の方々。


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金色四つ目の方相氏登場。

かつては大舎人寮のなかの屈強な大男が扮したとか。
玄衣朱裳(ようするに黒と赤の衣裳)で侲子(わらわべ)20名をひきつれています。

(子どもたち、寒そうでした)

おりからの鍋底寒気で雪はちらほら。
心底寒い、節分らしい夜です。


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赤鬼、青鬼参上。

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子供をめざとくみつけると駆け寄って「ウオ〜ッ!!」とおどかすのがお約束。

娘にメールでこの様子を送ってやると、「小さいときこわかったのを覚えている。」って。[E:coldsweats01]


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ベストパフォーマーは黄鬼さん。
けっこうヤンキーっぽくあばれていました。



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後世恐ろしい物として、この方相氏が追われる鬼に逆転した、というのは不思議です。
これも宮中の節分行事、土牛童子の儀式とミックスされて豆まきがおこなわれるようになったことと関係するそうですが、なかなか奥が深い。

それほど昔の人は自然現象や疫病などをおそれ敬虔に祈りや儀式をおこなわずにはいられなかったのでしょう。

自然をおそれなくなった現代人がうけたしっぺ返しが辛く感じられるこの1年、そんな自然の脅威への畏怖の気持ちを思い出してみるべきかもしれません。


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ちなみに私はこの追儺の勉強をこの本でしました。[E:coldsweats01]
(岡野玲子さんの「陰陽師」第3巻)


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節分の日のみ開けられる、全国3132座の神様を勧請した大元宮。

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厄塚で厄除けを祈願。





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お供えのお名前を拝見するに、三千家、藪内、、、など茶家のものを発見。


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唐土から非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を持ち帰った田道間守(たじまもり)を祀る菓祖神社。

今年もおいしい和菓子がたくさん食べられますように。

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菓祖ですから、毎年お菓子と豆茶の無料接待があるんですよ。
寒い中、あつい豆茶はなによりのご馳走。

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昨年気づかなかった橘の木を境内に発見。
非時香菓=橘といわれていますからね。


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あと、夜店のにぎわいも忘れちゃならないお楽しみです。


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立春からはじまるこの1年(旧暦)、今年はどなたさまにも良い年でどうかありますように。
posted by しぇる at 18:12| Comment(18) | TrackBack(1) | 京のお祭 | 更新情報をチェックする

2011年10月24日

鞍馬の火祭 2011

  神事にまいらっしゃ〜れ〜、、、、


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  神事にまいらっしゃ〜れ〜、、、、

神事ぶれの声、鞍馬街道の各家の篝に火がはいる。

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トックリとよばれる小さな松明を晴れ着をきた幼児がけなげにかつぐ。


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かわいらしい声で「さいれや、さいりょ〜(祭礼や祭礼)」



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深山の中、はげしい雨にもかかわらず勢いよく火をあげる街道沿いの篝火。



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少し大きい少年松明。

この子らも将来この火祭りを担うりっぱな青年氏子になって、大松明や甲斐性松明をかつくのだろうな。




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  さいれや、さいりょう〜


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今も鞍馬に残る「七仲間」という七つの住民組織のうちの一つの宿飾り(会所)。


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仲間は氏神祭礼を掌握する組織で、しかも代々世襲制。
ということは、祇園祭よりももっと色濃く血縁、地縁で結びつき、古代信仰がもっと色濃く残っているのだろう。


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各宿(会所)には剣鉾がかかげられる。


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各家が秘蔵の屏風や、先祖代々伝わってきたお宝を飾るところは祇園祭の屏風祭に似ている。

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大松明は鞍馬近隣の山でとれた柴(ツツジの小枝)、それを藤の根でしばってある。

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  さいれや、さいりょう〜



  
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  さいれや、さいりょう〜

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各仲間が宿の前で大松明に火をいれる。

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  さいれや、さいりょう〜


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鞍馬街道は雨と篝火にゆれる。


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街道筋の家々はどこも文化財級の古民家群。
まるで江戸時代の昔へタイムスリップしたような錯覚をおぼえる。


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各仲間の遣いの松明が往来し、諸礼(他の仲間と合流するときにかわされる儀式)や鉾差しが繰り返され、だんだん練り歩く松明はふくれあがる。
これはうつつの景色なのだろうか、、、

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  さいれや、さいりょう〜


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男達の背中には祭の無事を祈るお守りの南天の枝。

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下から登ってくる下の仲間の遣いを待つ上の仲間の遣いの松明。



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その昔、西暦940年、いまからざっと1070年前、御所に祀られていた由岐明神を、時の朱雀天皇は鞍馬にお遷しし、都の北の守りとされた。
その御遷宮の行列は松明、篝火、剣鉾でいろどられ1kmも続いたという。

その記憶をずっとこの深山で、火祭りとして守り続けた鞍馬のひとびと。


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このたたずまいを、篝火や松明のあかりで見る、、、これだけで来た価値があると思う。




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家の前にはお年寄りが床机をだしてこしかけて、小さい子どもたちは松明の周りではしゃぎながら、思い思いに松明の往来を眺める。
先祖代々が守ってきた祭祀、という誇りをみながもっておられるのだろう。

祭のクライマックスは由岐神社の階段下に大小100以上の松明が集まって最後の諸礼を行うところ。


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その火の中を二基の神輿が駆け下りてくる。


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神輿が御旅所に安置されるまで、祭礼はまだまだ深更におよんで続くが、ここはひとまずお先に失礼しよう。
鞍馬の神火をみた高揚した気分のまま。
posted by しぇる at 22:23| Comment(6) | TrackBack(0) | 京のお祭 | 更新情報をチェックする
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