2011年11月02日

観世流「井筒」上演と能のお話〜平野の家・わざ永々棟

白梅町にほど近い紅梅町、今年春にはじめておじゃました平野の家・わざ永々棟です。(永々棟のくわしいことはリンクをみてね)

P1130772

本日はこちらで観世流シテ方味方 玄(しずか)さんの初心者向け能のお話しと、彼による「井筒」を座敷能形式(衣裳はつけず、袴姿で舞う)で拝見。

(味方さんは能をもっとたくさんの方にみてもらいたい、身近にかんじてほしい、ということでさまざまなイベントや取り組みをされておられます。)

P1130775

舞台は改修された大正時代の数寄屋です。
文句なし。

そもそも能楽に興味はあったものの、そして何回か見たものの、もう一つあのスローすぎるテンポにあわず、入り口あたりでとまっているのです。
ところが茶道具の銘など、能楽の謡曲から来ているものもけっこう多く、日本絵画の題材としても能の知識がないとわからないものが多いのですよね。

一応知識、教養として最低限のことは身につけたいのですが、まずはもっと興味をもてるようにならないと、、、、というわけで、参加してみました。



P1130778

まずは待合いにてお抹茶を一服いただきます。
座敷能で面や衣裳はつけないかわりに、こちらに展示されています。
見事な唐織の衣裳に、因州池田家伝来の小面。

P1130803

こちらで出たお菓子の写真をうっかり忘れました!
老松さんの特注上生菓子で、それぞれに古筆の先生のこんな和歌が書かれた紙片が沿っていました。

  「月やあらむ 春や昔の春ならむ 我が身一つは もとの身にして」

古今集の歌ですが、伊勢物語のなかで歌われたことで有名。
そう、今日の演題の「井筒」も伊勢物語で、この歌はこの演目のキーワードともなっているので、ここからもう能は始まっているのです。

(しかもお菓子がその「月」をイメージさせるものだった!!)






P1130782

舞台になる二階はまたすばらしい眺めです。

P1130783

ほんまによう奇跡的に残ってくれたお屋敷ですね。


P1130784

この骨組みが筒井筒の井筒、すなわち井戸をあらわし、薄は時が秋であることを示し、しかもなんとなく月の存在をしめしているのだそうです。


まず味方さんに、能の歴史、井筒についての見所の解説、面のお話しなどを聞きました。

そうだったのか!といまさらながら聞いて合点することも多く、また地の声からいきなり謡の声にかわって解説をなさるところなど、まあ、すごい、虹色ボイスだわ、と感動したり、、、

さきほどの小面(大野出目家六代甫閑作)をみせてくださいましたが、なるほど目の位置がよ〜くみると右と左でちがっているのです。この微妙なゆがみが面にすごく豊かな表情を与えているのです。

同じ面なのに、少し上へむけると(テラス)喜んでいるように、下へ向けると(クモラス)と悲しんでいるようにみえるから不思議。

能面のような、、、と無表情な顔のことをいいますが、まちがっていますね。
ありとあらゆる表情を内包しているのではないでしょうか。

さて、味方さんいわく。
能の鑑賞は脳内のキャンバスに絵を描くようなもの。
舞台には実際にない月や花、目に見えぬ恋心や嫉妬、執心などを自分の想像力で彩っていくもの。

つまり受け手の感性や教養によってはじめて完成するものなのだということ。

今日の演目の井筒で月が見えたら大成功。



P1130789

そうこうするうちに夜もふけてきました。
このあと蝋燭にも火がはいって雰囲気は満点。

井筒のシテは、「昔男」といわれたかの在原業平の妻、紀有常の娘。通称筒井筒の女。

伊勢物語の有名なモチーフです。

  風吹けば 沖津白波龍田山 夜半にや 君がひとりゆくらむ

  筒井筒 井筒にかけしまろがたけ すぎにけらしな 妹みざるまに


ほんのわずかな動き、足さばきで筒井筒の女の業平への狂おしい思いをあらわします。

後の部分では業平の形見の直衣を着て狂おしく舞い、月の澄む頃、井筒にうつる業平の姿(実は彼の直衣を着た女)をみてなつかしく思う。

う〜ん、これを想像でふくらませていくのはなかなかむつかしいものだと実感。
月は見えたか?

えへへ、、、村雲のむこうにちらっと、、、くらいかな。


  ここに来て 昔ぞ返す在原の

  寺井に澄める、 月ぞさやけき 月ぞさやけき

  月やあらむ 春や昔とながめしも いつのころぞや 筒井筒

  筒井筒 井筒にかけしまろが丈

  生(お)ひにけらしな

  老ひにけらしな


初心者ですが、謡曲のリズムが意外と心地よく耳にはいってくるのは日本人のDNAのせいでしょうか。







  




P1130791

すっかり暮れて永々棟を辞する頃、今度は観世会館デビューしようかな、、、と思うわたくしでした。


<おまけ>

感動モノの永々棟、トイレの手洗い。

P1130786

これ、一枚板でできてます!

<メモ代わり>

鏡板の松(能舞台の背景には松の絵が描いてある)について

本来能楽は神に捧げる物であったため、神様の方をむいて演じられた。
春日大社の影向(ようごう)の松は神の依り代であるため、この松が鏡に映っている=鏡板の松、とするので演者は松に向かって(=観客のいる方向)演じていることをあらわしているとか。

そういえば昨年行った春日若宮御祭のお渡り式で、影向の松の前でそれぞれ芸能を披露していたっけ。
そういう意味があったのか!
また賢くなっちゃった。[E:bleah]


posted by しぇる at 23:04| Comment(2) | TrackBack(0) | お茶と着物・2 | 更新情報をチェックする

2011年10月29日

大徳寺 孤篷庵・忘筌と真珠庵・庭玉軒

秋の特別公開とて、大徳寺へ。

目的はひたすら忘筌!

茶室の歴史が語られるとき、かならず出てくる忘筌は雑誌などでも写真はよく見るのです。
でもやはり実際にその場に身をおいてみたいですよね。



P1130697

まずは大徳寺の茶所で茶を一杯いただいていざ。

P1130699

境内をつっきってさらに西へ。
この忘筌のある孤篷庵へ向かう道が昔から好きでした。

P1130702

今宮神社の参道を横切ってなお西へ。
(あぶり餅食べたい!でも今日はがまんがまん)




P1130703

紫野高校の横をとおってなお西進。


P1130704

あ、漆器のなちやさん、こんなところに。
でも、寄り道せずいきましょう。




P1130708

いつもは門戸を閉ざしている孤篷庵、やっとくることができました。
(以下撮影禁止のため画像アリマセン)


孤篷庵・忘筌。

大名にして、天下一の造園・建築・工芸デザイナー・テクノクラート・歌人・香道家・能筆家そして大茶人、この人の正体は一体何?とだれもが思う天才、小堀遠州最晩年の茶室。

(「へうげもの」では若い頃の遠州=作介がおねえ系キャラなのが笑える)

現在の忘筌は、焼失したあと松平不昧公による再建ですが、忠実に再現されているとききます。


あんまり画像もないと話がしにくいので手持ちの雑誌の写真をあげておきます。
有名な景観です。





P1130770



まずはこの写真のように見える位置にすわってみます。
う〜む、写真で見たとおり。

写真では見ることのできなかった下半分のない明かり障子と茶室の間の空間がどれほどの広さなのか、初めて体感。
意外と広いのに驚きました。
茶室との間にこれほどの距離があれば、茶室から見た時により奥行きを感じられるのかもしれません。

それにしても下半分をすぱっと切った障子に、絶妙の位置にある蹲居と灯籠。
遠州の天才ぶりをこれでもか、と示すようです。

ちなみに蹲居には「露結」と遠州の字で刻まれているのですが、これは兎を意味するそうです。
「荘子」の「得魚而忘筌、得兎而忘蹄」から、魚と対をなすものとして。



茶室は九畳+三畳の控えの間。
点前座は丸畳、わびた小間にある中柱はなく、かといって床の間は華美ではなく簡素。
天井は砂摺り、真でもなく、草でもない。
遠州のもとめたのはもはや書院でもなく、小間でもない。
書院の茶から利休が集大成したわび茶、その大きな茶の湯の歴史のうねりの中で最後にいきついたところがこれなのかもしれません。

点前座にすわってみると目の前にある風炉先にあたる板仕切り(床の間とのしきりになるのですが)に遠州ゆかりの輪違紋を発見。おもわずニンマリしてしましました。

念願の忘筌、たしかに拝見させていただきました。

さて、一つ気になったのが、孤篷庵のお庭の隅に猫よけのガーデンバリアがひっそりおいてあったこと。
ここのお庭にも猫が出入りしているのね。
(出入りはいいのだけれど、フンをしたり苔をほじくりかえすととても困ったことになるのです)

孤篷庵を辞して東にもどるときにそのうちの1匹(?)に遭遇。


P1130711

サビちゃんと目があいました。

するとすすす、、とよってきて、、、、P1130712

しばし、私の足の間でのどをごろごろ。
かわいい[E:lovely]
でも、苔をほっくりほっくりしちゃだめよ。


P1130709

竹林の道。


P1130701

石畳の木漏れ日。

P1130713

利休の墓をはじめ、三千家歴代の墓所でもある聚光院。
こちらも特別公開中なのですが、この日は月釜とあって、公開せず。
でも、茶会に来たお客さんにまぎれてなにげに中へ入ってちょっと見学させてもらいました。[E:coldsweats01](もちろん1000円はらえばどなたでも茶席へ入れますが)

もう一つの特別公開寺院、有名な茶席、というより有名な蹲居のある真珠庵へ。




P1130715

一休宗純を開祖として創建されるも、応仁の乱により焼失し、15世紀末、堺の豪商・尾和宗臨によって再興。

二畳台目の庭玉軒は姫宗和といわれた金森宗和の好みといわれます。
茶室の方は比較的よくみるタイプのものなのですが、なによりここを(茶道建築的にも)有名にしているのは内坪とよばれる屋内に設けられた蹲居です。
これも写真だけはよく見ました。


こちらも撮影できませんので、見えにくいですが、パンフレットから。

P1130771

宗和は雪深い岐阜の高山出身ゆえ、故郷の雪をよける工夫を持ってきた、と言われています。
蹲居と言えば露地の一角、植栽を楽しみながら使うもの、、、と思い込んでいる者にとってはビックリの発想です。
ただ緑がない分、少々味気ないかな。

忘筌、庭玉軒、どちらも写真でよく知っている茶室に実際身をおいてみることができて、とてもうれしい。
写真では無人だし、ベストアングルから撮られているので、より美しいのは確か。
でも本物の空気感、空間認識ができてこそ、より当時の茶人達の気持ちに近づけるような気がします。
posted by しぇる at 21:00| Comment(10) | TrackBack(0) | お茶と着物・2 | 更新情報をチェックする

2011年10月21日

高山寺・遺香庵〜懐かしの金堂

もうじき紅葉の季節になると訪れる人がぐっと多くなる高雄〜栂尾ですが、今まだ早いので、それほど人の姿はみかけません、
高山寺

普段は非公開の茶室、遺香庵が11月6日まで特別公開中。
(駐車場、11月から有料になるらしいので、行くなら今かもよ)

高山寺は学生時代、心茶会でよくお世話になり、とても懐かしくてなじみのあるお寺なんです。
夏休みには1週間、法鼓台道場に合宿して、禅僧のような生活(作務、座禅、食事も応量器を1週間洗わずに使う)をしていましたし、茶会前になると青竹を伐り出しにノコギリを持っておじゃましたものです。

いつも入山するのは裏参道。
「心茶会っす!」といえばフリーパスでしたが、さすがに今はできませんわねえ。[E:coldsweats01]

国宝の石水院は何度も来ているので、あとで回るとしてスルー。



P1010813

まずは遺香庵待合い。
少し小高いところにあります。

P1130473

なんと言っても目をひくのはこの鐘ですね。

遺香庵は昭和6年、高山寺の実質的開山、明恵上人の700年遠忌を記念して、その遺香を伝えるために建てられたという茶室なのですが、この鐘にはそれに関わった人たちの名前がずらりと刻まれています。

P1010809

一番目立つ場所には設計をした高橋箒庵(益田鈍翁とおなじく実業家であり数寄者)の名前。
その他にもビッグネームがつらつらと並んでいます。(住友、野村、益田、根津などなど)
これをさがすのも楽しいかも。


P1010811

こちら、作庭を担当した7代目小川治兵衛さんのお名前。

P1130477

遺香庵の内露地にはいっていきましょう。


P1010827

蹲居には一足早く紅葉した葉が。

P1130474

遺香庵、小間の躙り口。
こちらは四畳台目のお茶室です。
躙り口の右にある花頭窓は禅宗寺院にはよくみる意匠ですが、茶室につかわれるのは珍しいそうです。




P1130481

色紙窓、中柱、桂離宮の「月」の襖引き手を思わせる曲線の給仕口。
天井も真(平天井)行(掛込天井)草(落天井)。(あら、写真に写ってませんね[E:coldsweats01]ゴメン)
小間の茶室はかくありなん、というお手本のようだわ。


P1010826

陰翳礼賛。
こんな点前座にすわってお茶を点ててみたい。


P1010825

小間をぐるりとまわると、隣接するのは八畳の広間の茶室。


P1130479
このころから大寄せ茶会というものがはやりましたから、八畳はどうしても必要だったのでしょう。

P1010824

こちらの欄間の意匠が山の形。
なんでも明恵上人が修行された山(名前忘れた)を表しているそうです。

P1010830

小間と広間をつなぐ鎖の間と水屋。
実際ここは茶会などで使われるのでしょうか。
使い勝手がよさそうな小間広間の関係ですねえ。(つい亭主目線)

さて遺香庵をあとにして、さらに石段を登っていきます。




P1010835

まあああ、、、なつかしい、ウン十年ぶりの道場、ちっともかわらないのね。
ここで毎夏1週間お泊まりだったのです。
今でも学生の特別接心会、ここで行われているようです。

P1010831

昭和30年代に作られた、高山寺に伝わる古文書、宝物をおさめる法鼓台文庫。
平成17年にはこの中におさめられていた葛籠から、南方熊楠の書簡が発見されたそうです。


P1010837

金堂へ続く道。
特別接心会では1日に何回も坐禅をしに金堂までのぼるのですが、早朝と夕暮れの坐では懐中電灯持参でこの道を行き来しなくてはなりませんでした。

あまりの暗さに道に迷いかけたり、得体の知れない動物の声がこわかったり、、、
それでもそんな聖なる山に包まれた中での参禅はまた格別でしたね。
とくに早朝、まだ薄暗いうちから初めて、少しずつ白んでくるあたりの景色を見るのが好きだったことを思い出しました。
長いこと忘れていたな、そんなこと。


P1010839

金堂への道の途中に明恵上人の御廟があるのですが、そこの前庭にある、上人遺訓の「阿留辺幾夜宇和(あるべきようは)」石碑。




P1010840

仏足石しるべの向こうに、金堂が見えてきました。



P1010841

仏足石はこちら。
お釈迦様を慕われた明恵上人が作らせた物だそうですが、これは明治以降の再建。

P1010842

ふう、、やっと金堂が見えてきた。

P1010844

この中で坐禅させていただいたのですから、今から思えばありがたいことです。
普段は中、はいれませんから。

記憶が少しあいまいなのですが、たしか坐禅と坐禅の間に経行(きんひん)といって、一時坐禅を解いてお堂の外をぐるぐる雁行して回る、というのがありました。(足のしびれをなおすには必須!)


P1010847

これがそのぐるぐるまわった床。
(まあ、当時のものではないでしょうが)
懐かしさに思わずすりすりしてしまう。

P1130488

おお、この閼伽棚も覚えているわ。
だんだん速度をあげていくので最後は小走りになるため、これにぶつかりそうでこわかった。

最終日に先輩に全員がおもいっきし警索でたたかれたっけ。
(あれ打ち方が上手だとそんなに痛くないんです。私が打ったひとはさぞ痛かったでしょうなあ、、、)

、、、、で、なにか悟ったかって?
[E:coldsweats01]
いや、多分、なんにも、、、
不明にして、修行の成果はトホホ、、、、です。


高山寺初めての方は、国宝石水院(鎌倉時代の建築)もお忘れなく。




P1010859

こんなかわいいお坊ちゃん(善財童子ですけど)がお迎えしてくれますよ。
(ちなみに明恵上人は善財童子を敬愛されていたそうです)


P1010860

明恵上人も樹上でお待ちしています。

もう一つ、忘れちゃならないのがこちら。

P1010864

栄西禅師が、宋から持ち帰った茶の実を明恵上人に贈り、上人はこれを栽培し広めました。
お茶が禅の修行の妨げになる眠気を覚ますことに気づいて推奨したらしいですが、おかげで現代の私たちもお茶の功徳にあずかれる、ということですね。



P1130494


古くから宇治の茶業家は上人の遺徳をしのび、毎年11月8日に自家製の新茶を献上、献茶式がおこなわれるそうです。


P1130495

この季節、つつましやかな茶の花をちらほら見ることができました。
posted by しぇる at 20:00| Comment(18) | TrackBack(0) | お茶と着物・2 | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。