2007年03月19日

福知山線脱線事故から2年、思うこと

庭の雪柳が満開です。
去年は剪定をわざとしなかったので、伸び放題なのがかえって野趣たっぷりで気に入っています。


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昨日テレビのドキュメンタリーを見ました。福知山線の脱線事故で、生存者の中で一番重症だった30代の女性の事故後2年間を追ったものでした。

福知山線は私が通勤に使っている線です。宝塚から大阪梅田まで。宝塚はJRと阪急電車両方の駅が100mと離れていません。JRは早いけれど三田から乗ってくる人が多いので座れず、阪急は始発なので座れるけれど時間がかかる、ということで時と状況に合わせてどちらかを選んでいます。

あの日、事故が起こっていた時間、私は阪急電車に乗っていました。梅田に着くと娘からメールで”事故あったけれど大丈夫?”なんのことかわからず電話してみると大きな事故が起こったらしい、と。
TVで事故現場を見て、当初死者が2〜3人と報道していたけれど、これはそんなものじゃすまない!と直感。その後時々刻々と増えていくニュース発表の死者数に、震災の時もそうだった、次々と死者数が増えていく、どこまで行くのか、、、という恐怖にも似た感じを思い出しました。
もしかしたら、私もあの電車に乗り合わせていたかもしれない。
ほんのささいなことで運命の分かれ道はそこここに待ち構えている、、。そんな気がしました。

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不幸中の幸いは事故が医療機関が集中している地域でおっこったこと。近くの町工場の人たちも駆けつけて、マンパワーが使えたこと。
印象に残っているのは救急医療の専門家がすぐトリアージ(救命の見込みや重症度を判断して、患者を分類。重傷者は高度医療機関へ、軽傷者は普通の医療機関へと選別する方法)を行ったこと。
これにより助かった命が、搬送にもたついて助けられなかった、という例がこの事故では1件もでなかった、ということです。
もしこれが人がまばらな場所でおこっていたら、もっと犠牲者は増えていたことでしょう。
操業をとめて人命救助に奔走してくれた近所の人たちにも、震災の時と同じ、この世知辛い世の中にも善意を信じられる、と頭が下がりました。

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事故後数ヶ月、JRはストップし、代替に阪急に乗客が殺到し、いつもは人が少ない宝塚駅が梅田駅状態に過密し、ぎゅうぎゅうの電車での通勤を余儀なくされましたが、みんなあまり声高に文句も言わず、黙々としていました。
亡くなった方がいるのに、とりあえず自分は生きている、という感謝と遠慮の気持ちでしょうか。なんだか心が痛かった。


さて、冒頭のこのトリアージの中でも最重傷者としてヘリコプターで高度医療機関に搬送された女性。彼女は搬送先で間違いなく助からない、万一助かっても植物状態は免れない、と診断されたそうです。
救出されたとき男女の区別もできないほど体に損傷を受け、口の中には息ができないほどガラスの破片がいっぱい詰まっていたそうです。どれほどの破壊的力が加わったのか想像できそうです。
家族、医療者の懸命の介護、治療で奇跡的にこの女性は命をとりとめ、当初植物状態に近かった状態が、まだ高次脳機能障害は残り、車椅子は手放せないけれど、身の回りのことや会話などできるまでに回復されました。まさに、奇跡です。めったにおこらないだろう奇跡だと思います。家族の努力なしではおこらなかった奇跡。
この2年介護されたご両親、近くに引っ越ししてまで励ましてきたお姉さん一家、本当に大変だったと思います。
はたしてこれほどまで献身的に家族につくせるのか、家族としての底力が試されるとき、自分はどうだろう?自信がありません。
日々リハビリに励まれるこの方に、1日でも早く元の生活が取り戻せるよう願ってやみません。

JRが再開通して、しばらくは事故現場を通るたびに(いまでも献花台がおかれています)心の中で手を合わせていたのも、いつのまにか、時間が経つにつれ記憶が薄れていってしまいました。
でも、なにげなく毎日電車で通勤し、本を読んだり、うたた寝したり、それが突然阿鼻叫喚の地獄になる、これは誰にでも、いつでも起こりうること。たくさんの家族がいつもどおり”お休み”といって休んだ次の日に、多くの家族を失ったあの震災の日のように、、。

2年目がめぐってきて、福知山線を利用している者として思ったことです。




posted by しぇる at 22:42| Comment(4) | まじめな話 | 更新情報をチェックする
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