2010年12月19日

春日若宮おん祭・3〜常世の舞〜「細男(せいのお)」を中心に

御旅所の行宮の前には五間(9m)四方の芝舞台があり、神遊はここでおこなわれる。

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巫女(春日神社ではみかんこ、とよぶ)たちの神楽で幕開けが3時半ごろ。
それから夜の10時過ぎまでとだえることなく、さまざまな芸能がくりひろげられる。
これが神への捧げもの。

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少年たちのりりしい舞、東遊(あずまあそび)

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田楽座の田楽。

そのあとがいよいよ、他に類をみない、といわれる古代からそのままの舞、「細男(せいのお)」の始まり。

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白い麻の浄衣をまとった6人の舞人が御幣を捧げる。

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そして、目から下に白い布をたらして隠す。




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左の二人は最初から最後まで笛をふく。
真ん中の二人は素手、右の二人は鼓をもつ。舞うのはこの笛遺がいの四人のみ。

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笛の音はおよそ音階という物がなく、聞き慣れない不思議な音。

踊りもまるきり単調で、ふたりずつが袖で顔をかくすように、四角を描いてゆらゆら歩くのみ。
このように背中を曲げるポーズが特徴。

鼓組が舞うときは鼓を打ち鳴らすが、ほんとうにものの本に書いてあったとおり「ポチャン、ポチャン」という頼りない音になる。

左袖、右袖、両袖でそれぞれ顔を隠して舞っておわりとなる。



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ちょうど黄昏時に始まるので、10分ほどの間に急にあたりが暗くなっていくのがわかるだろうか。
まるでこの時を選んで舞っているかのようで、よけいにこの細男の不可思議さが増幅されるような気がする。


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細男の由来として(南北朝時代の「八幡愚童記」による)以下の伝説がある。

神功皇后が朝鮮出兵に向かうとき、常陸国の海底に住む安曇磯良(あずみのいそら)に船の舵取りをさせようと使いを出したが応じない。
訳を聞くと、自分は深い海底に長い間住んでいるので顔中に牡蛎が吸い付いてしまってあまりに醜いためでられないのだ、とのこと。
そこで住吉の神が自ら拍子をとって歌い舞うと、舞楽好きの磯良はたまらなくなって醜い顔を覆い、首に鼓を掛け「細男」という舞を舞いながら海からでてきて、神功皇后の渡海を助けた、という話。

しかし細男舞の起源だけは今も多くの謎がありはっきりとしたことはわからないそうだ。
ただこの舞はおん祭でしか残っていないらしい。

まあ、そういうことは民俗学者にでもまかせるとして、あの奇妙な音楽、奇妙な舞がかもしだす、彼は誰れ時の不思議な空間をわれわれは堪能すればいい。

一度見たら忘れられない。

細男のあとはプロの能楽士による神楽、舞う姿がりりしくて、平安時代のイケメンとはこういう感じか、とおもうくらいかっこいい和舞(やまとまい)、古代朝鮮、中国大陸から伝えられた舞楽、と続く。


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舞うも演奏するも南都楽所(なんとがくそ)の皆さん。

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この鼉太鼓の音にはしびれます。
特に有名な蘭陵王(超イケメンの顔を強面の面で隠して闘った強い王様)の勇壮な舞の時なんか。

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そして夜も更け、体に寒さが応え始めるころ、夜の10時半過ぎ、又すべての燈火が消され、暗闇の中「ヲーヲー」の警蹕とともに神遊をご覧になり終えた若宮様を、本殿にお送りするため十重二十重にとりまく榊を持った白衣の神官たち。

こうして神様は春日の社へおもどりになったようです。
また来年のおでましを約束されながら。

* * *

遷幸の儀、お渡り式、御旅所式、還幸の儀を通じていつもお見かけする方がいた。
若いのに着物姿がいたについた殿方なので、つい目がとまって。
最後までおられたので、「よほど好きなんやなあ。」とつぶやいたら、友人が「『おまえもな。』って言われるよ、きっと。」
[E:coldsweats01]確かに、、、


posted by しぇる at 01:21| Comment(6) | TrackBack(0) | 奈良さんぽ | 更新情報をチェックする

春日若宮おん祭・2〜芸能絵巻・お渡り式

寒い深夜から一転して朝は良い天気で空も明るい。

P1080234(荒池から興福寺五重塔をのぞむ)


県庁前の奈良公園の一画ではこれから始まる時代絵巻、お渡り式にのぞみ集まる人たちで賑わう。


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お渡りとは、ここでは行宮に遷られた若宮様のもとへ芸能集団や祭礼に加わる人々が社参する行列のことをいう。


おん祭でもっとも華やかな行事。
(ちょっとしばらく携帯画像が続くので、画質はおちます。あしからず)

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一番見るのを楽しみにしている「細男(せいのお)」とよばれる舞踊を披露する細男座の幟。

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田楽座の持つ「田楽花笠」。
一刀彫りのルーツと言われる木彫り人形が並ぶ。


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田楽座は御幣も一番華やか。

12時に県庁前を出発したお渡り式に先回りして、一の鳥居へ。

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今から行われる競べ馬、流鏑馬のために参道には砂がしきつめられている。


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若宮様います行宮の朝の風景。


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行列にかかせぬ馬もすばらしくきれいでりっぱ。
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さあ、お渡り式の一行がやってきました。
これは御幣と五色の懸絹。

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かわいらしいお稚児さんもお母さん方に手をひかれて。

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南大門跡でおこなわれる「南大門交名の儀」。
祇園祭のくじ改めのようなもの。

僧兵姿はもちろん興福寺。
おん祭は春日大社のお祭でありながら、興福寺の全面バックアップでおこなわれてきた、という歴史的事実から。
このあたり、神仏混淆の多く見られる奈良らしい。



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拝殿八乙女のお一人。
藤の前簪もうるわしい、巫女さんです。


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私的に大注目の細男座。

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この白馬が実にみごと。

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「松の下式」。
ここはかつて春日明神が初めて姿を現した(=影向:ようごう)という場所で、今は切り株だけになっているがこれを「影向の松」という。
お渡りの各座はここで足を止め、芸のさわりを披露する。


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これはなんであるか?

競べ馬のスタートフラッグ。
お渡りの最中にも早速競技はスタートする。

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赤方と青方で3組競い、勝った方の色が後の舞楽の先行をつとめる。
つまり赤方=左舞(中国渡来の舞楽)、青方=右舞(朝鮮渡来の舞楽)。


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さて、御旅所にお渡りの一行が到着し、御旅所祭の始まりの前にまずするのが「埒切り」。
入り口に立てられた簡単な柵の真ん中の白い紙にご注目。

これを切って一行は中に入れるのだが、その切る役を仰せつかるのが猿楽座の長。
現在は金春座がこれをあいつとめる。

この柵をもともと「埒」と言ったそうで、「埒があかない」はここからきたそうな。納得。



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田楽座入場。

先ほどの田楽花笠と高下駄に注目。

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流鏑馬の稚児。


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お渡りのしんがりをつとめる大名行列。
かつては郡山藩、高取藩がつとめていたもの。
現在は大名行列保存会のメンバーにより、再興された。
「エーヤッコラセー」の独特のかけ声が耳に残る。


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腹にひびくような、左右の鼉太鼓(だだいこ)が打ち鳴らされる中、神官たちが若宮様にお供え=神饌を次々に献じる。


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小さくてわかりにくいが、このお供えが「染御供(そめごく)」。
お米を青黄赤白に染め分けたお供え物。

神官の祝詞の後、日使(ひのつかい:祭をはじめた関白藤原忠通の名代)が御幣を奉り祝詞をあげる。


ちなみに昨年の日使はシャープの代表取締役会長。
今年は関西電力会長が務められた由。

さあ、神遊(かみあそび)、御旅所祭のはじまりはじまり。
posted by しぇる at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良さんぽ | 更新情報をチェックする

2010年12月18日

春日若宮おん祭・1〜幻夜行〜遷幸の儀・暁祭

<春日若宮おん祭>
春日大社の摂社である若宮の御祭神を深夜0時、本殿にお迎えに上がり、約1.5km離れた御旅所へお遷し申し上げる。(遷幸の儀)
午前1時、若宮様いまします行宮前には神を迎えた事をしめす植松が建てられ、御殿の前の瓜灯籠に火が入る。
その神前に海川山野の品々が献じられ、古式「素合の御供(すごのごく)」が奉られ祝詞、社伝神楽が奏せられる。(暁祭)

これより若宮様、本殿にお帰りになるまでの24時間、行宮前にて各種芸能が奉納される神遊(かみあそび)が行われる。

(歴史)
 長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済の為若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営し、若宮の御神助を願い、翌年春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まり。(春日大社HPより)


P1080223(若宮をお迎えする前の御旅所、行宮=正面のお社)

今年一番の寒さ、といわれた17日深夜、体感温度はとうに氷点下の凍てつく寒さの中、春日大社の参道で若宮のおでましをお待ち申し上げる。

参道は皆燈火が消して謹慎し、灯りといえば半月を少し過ぎた月の光のみ。
それすらまぶしいと感じるほど、目は暗闇に慣れている。
参列者は写真はもちろん懐中電灯、携帯の灯りをともすこと一切を許されない。


0時を過ぎた頃、真っ暗な春日の山の上の方、若宮社あたりから神をお送りする太鼓の音がかすかに聞こえてくる。
とたんにざわついていた参道が静まりかえる。

静けさの中、山の方から「ヲーヲー」という警蹕(けいひつ)の声が近づいてくる。

多くの神官の口から発せられるそれは幾重にも音程が重なるため、不思議でかつ、この世の物ならぬ声に聞こえる。

やがて現れる地面を曳かれる2本の大松明、その燃えさしが2筋の線を引いてゆく。
清められた神の通り道ができあがる。

そのあとを沈香をたく神官、そして、、、、
暗闇のなかで、榊の枝をもった白衣の神官たちが幾重にも幾重にも神霊をお囲みして「ヲーヲー」の警蹕の声とともに目の前を通り過ぎる。

古人が「青垣山の移りゆくが如し」とたとえた如く、榊の山が動いていくような、、思わず柏手を打って頭をたれずにはいられない衝動。

不信心者の自分の中に、まだそんな古代人のDNAが密かに残っているのを感じる瞬間。

これこそがおん祭の一番のハイライトだろう。

こればかりは言葉でうまく説明できない。
厳寒の深夜だが、是非一度参列されるがいい。

祇園祭などで見られるように、神様は御旅所に行かれるときには、御輿など遷座の祭具を使うのが普通だが、このおん祭ではそういったものが一切ない。

神はまさに霊であり、見る物ではなく、感じる物、それを神官が榊の枝で取り囲むのだ。

普段フラッシュ禁止、といわれてもフラッシュをたいたり、携帯をつけたりする不届き物が一人や二人いるものだが、ここでは一人もいなかったのが見事だった。
その神秘さに、あるいは幻のような景色に、ただただ圧倒されるばかりだからだろうか。

その後を楽人たちが、お遷りの間神様をお慰めする道楽(みちがく)を奏でながら続いてゆく。


その神様の通った後の、まだ残る松明の燃えさしをたよりに暗闇の中、参列者は約1.5km離れた御旅所まで同行する。
行宮に若宮様が入られると、宮前の瓜灯籠に火がほんのり入り、御旅所の燈火が一斉につけられる。



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午前1時、ますます空気は冷え込み、足の指先が痛い。

一転して目に鮮やかな蘇芳、濃紺の装束の神官による祝詞、素合の御供(餅と蜜柑、檜葉を紅白の神を張った箱にのせたもの)などが次々と献じられる。


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みかんこ(巫女)たちの舞う神楽のあと、夜はしんしんふけてゆき、宿直(とのい)の神官を残し、暁祭は終わる。

さあ、これから本殿にお帰りになるまでの24時間、若宮様はこちらで祭を楽しまれるのだ。
我々もお相伴させていただこう。
posted by しぇる at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良さんぽ | 更新情報をチェックする
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