2011年03月08日

橿原市・今井町〜江戸時代へのタイムスリップ

この機会にと、ずっと行きたくてなかなか行けなかった、貴重な歴史的町並みを残す今井町に足をのばすことにしました。

奈良市街地から車で小1時間(または近鉄橿原線・八木西口駅下車)、こんなところに江戸時代の町割りが残っているのか?と思えるような景色の中、おお、あれはなんだかその匂いがする、、、、


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といってもこれは明治36年の建物、奈良県指定文化財旧高市郡教育博物館、現在は今井まちなみ交流センターとして、今井町歩きの前に情報を仕入れることのできる場所になっています。

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江戸時代の今井町の模型。
廻りを掘り割りで囲まれ、実際要塞都市としても機能していたそうです。

説明は町民のボランティアさん、ここが見所、ここははずさずに、1時間半ならこのコースで、ととても親切に地図にいろいろ書き込んでくださいました。

さあ、いよいよ江戸時代にタイムスリップだー[E:happy02]


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おお、いきなり映画村のような、、、いえ、失礼、映画村よりはるかにりっぱです!

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歩くたびに展開する歴史的町並みに私の目は[E:lovely]。

ご覧の通り、電柱、電線、ありませ〜ん!

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中世、攻め込まれても敵が直進できないように、京都みたいに碁盤の目の町割りでなく、筋違いの道を多用した町割りになっているそうです。


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今井町が歴史に登場するのは14世紀、興福寺の荘園としてなのですが、戦国時代、称念寺を中心に寺内町を形成。

戦国時代は次々と変わる支配者に対抗するため、濠で町を囲み土塁を築き自衛のため闘ったそうです。




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(厨子二階の意匠にも注目ね!)

その力には戦った織田信長も一目置き、都市としての自治権を与え、以後「海の堺、陸の今井」といわれ自治都市として栄えたそうです。
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こちら河合家住宅、18世紀にはすでに酒造業をいとなんでいたそうですが、いまでも河合酒造を営業されています。


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中も拝見させていただけます。
おお、あれは駕篭ではないか!


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広い土間にはおくどさんもあります。
こちらのお酒を一杯試飲もさせていただきました。




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さて、今井町、江戸時代にはいると幕府の天領になります。
しかし豊かな今井の財力が魅力であった幕府は、これを支配するのに、優遇をもっておこないました。

惣年寄を頂点に、警察権・司法権・行政権を与え、自治的特権を与えたのです。


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元禄年間には「大和の金は今井に七分」と称されるまでに繁栄したそうです。

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東西600m、南北310mしかない小さなエリアなのにすごいですね。
そういえば、立ち並ぶ町家はどこもたいそう立派な物がほとんどで、贅を尽くして造られた、、、という感じがわかります。



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雨樋にも金をかけてますね〜。
こいう意匠を見て歩くだけでも楽しい。

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今井町は明治維新を経ても鉄道敷設に反対するなど、結果的には江戸時代からの町並みのみならず、自治都市としての結束力も保存することに成功したのですが、、、



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戦後、建物の老朽化で多くの民家が倒壊寸前。
そこを民家調査に来た東京大学工学部建築学科の学者グループが再発見、これは国の重要文化財に指定する価値がある、と運動した結果、今では8軒が重要文化財指定をうけています。

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そうしたお上からの保護だけでなく、町民自身による「町並み保存運動」がおこり全国にさきがけてNPO法人などつくり努力されているとか。



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ただ、中には住む人もいなくなった空き家が100軒ほどあって、この空き屋対策も重要とか。
観光客に開放している民家に、ガイドを兼ねて常駐するのは、手弁当の住民のボランティアさん。
みなさん交代でされているそうですよ。








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もちろん現在でも住んでおられる方もたくさんいて、そのうち文化財指定を受けた家などは、その家の住人さん自らがガイドしてくださるのです。

なんという、町並みに対する意識の高さ!


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まあ、それも遠い先祖の時代からほとんど変わらず、濠に囲まれた半閉鎖空間で、ともに生活してきた住民同志の強い絆あればのことでしょう。



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京都のように大きな都市で住人の流入出が多いところでは、この方式はむつかしいでしょうね。



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空き家の利用法として、体験宿泊のできる施設もありましたよ。


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江戸の町並みでも、生活するのは今の人々。
ここらの小学生はうらやましいなあ。
この町並みの価値を忘れないでね。

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こういう生活感たっぷりの民家もありますの。

最後に今井を代表する最大の民家、今西家のご紹介を。

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まずは二条城をおもわせるような風格のある外観、明らかに他の建物との格の違いを認識できます。


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この家は町の一番西のはしに出っ張るような形でたっています。


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壁の定紋は「川井」、かつて今井町の惣年寄を代々つとめた川井家をあらわしています。
大坂夏の陣で大阪方に攻め入られたとき、川井の一族が戦い町を無傷のまま守ったことから、「今井の西をよく守った」ということで以後今西家となのったそうです。


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まあ、一歩入ってその規模に度肝をぬかれます。
今西家の方は、現在この家には住んでおられませんが、すぐそばの家にお住まい。
そして観光客の求めに応じて説明をしてくださるのです。

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先に述べたように、自治都市の惣年寄ですので、警察権、司法権があったので、この広い土間は御白州として使われていたとか。


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この途中までしかない敷居の溝がわかるでしょうか。

賊が攻めてきたとき、とっさに雨戸を閉めると自動的にロックできる構造になっているそうです。



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戦後解体修理が行われ、出てきた棟札により、1650年の建立ということがわかったそうです。
その時に、この大きな梁の3本のうち、1本だけが使い物にならず新調したのですが、どれだかわかります?

実物だとわりとはっきりわかるんです、一番手前の1本だって。
さすがに360年の年輪にはかなわないものがありますね。


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今井町の民家でよくみかけるこの「駒つなぎ」、実はこんな所にも意匠として使われていました。


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京都のしっとりとした情緒のあったエリアが、けばけばしいお土産物屋に占拠された悲しい場所にかわってしまった例をいくつかしっています。

今井町はおそらくそんな二の舞はふまぬことでしょう。
観光客は、静かに歩いてこの町並みを楽しみましょうね。

同じ場所に同じ住民が昔からずっと住んでいると、しがらみなどもあって大変では?と思っていましたが、今西家の方の言葉がとても印象的でした。
「昔から同じ住民が住み続けていることが私たちの誇りなんです。」


posted by しぇる at 21:00| Comment(19) | TrackBack(0) | 奈良さんぽ | 更新情報をチェックする

2011年03月06日

中川政七商店・奈良本店〜あーとさろん宮崎

奈良に行くときには必ずよるカフェやお店がいくつかあります。


今回またあらたに寄る場所が増えてしまいました。
京都店も最近できたばかりの中川政七商店の奈良本店。

もとは奈良晒を扱っていた商家、近鉄奈良から近い、もちいどの商店街からちょっとはずれた細い小路に本店があるんです。
こちらの商品は大丸などのデパートでも買えるのですが、やはり大きな町家だという本店へ行ってみたいなあと思っていたのです。




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1階の表はモダンですが、厨子二階をみてもらえればわかるようにりっぱな町家なんです。

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中は遊・中川ラインや粋更ラインのお店になっていて、ついつい買い物にはしってしまふ、、、。

茶房がついているのはここだけ、さっそく靴を脱いでお座敷へ。



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だいどこの間にあたるところはテーブル席で。


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奥座敷はこのような、たいそう私好みの席になっております[E:lovely]



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お庭もりっぱで、

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トイレなどは正しく「屋外」にあります。

初日いただいたもの。


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「むしやしない」(まあ、軽食ですね)のあったかいにゅうめん。
とろみのついた出汁に生姜がたっぷりであったまること。
ありがたや。

で、翌日も友人をつれてまた行ったのです。うふふ。






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膝を痛めている友人のために今回は座敷のお隣のテーブル席で。

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寒さにちぢこまった体にやさしいお重ランチ。

2ヶ月ごとにメニューはかわるそうですが、大和菊菜の柚子浸し、五穀生麩と里芋の行法味噌田楽、たたきごぼうの胡桃胡麻和え、蓮根の甘酢和え、奈良漬、古代チーズ「蘇」、黒米ごはん、、、、などなど健康によさそうなものばかり。




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お重についてくる五目野菜の餡かけ。
これも生姜がよくきいて、おいしかった。

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デザートの大和茶アイスは鹿の最中付き!
スプーンは水牛の角製。

ここは小物にも凝っていて、各テーブルにのっているのはこんなもの。

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紅白のはコーヒーシュガー。
ちいさな関守石のような小石は伝票押さえ。
下の古帛紗の文様は笹蔓緞子ですが、左のはしにうつっている座布団をよくごらんください。
わかりにくいですが、これも笹蔓の文様なんです。
まあ、おしゃれ[E:lovely]

というわけで、奈良にきたときに素通りできぬ場所がまた増えてしまいました。

素通りできぬ、といえば前からお気に入りの場所、高畑のあーとさろん宮崎さん。



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アンティークもあつかっているギャラリーで、この日は版画展をされていました。

こちらの奥のカウンターではコーヒーをいただけるのです。
そしてここのカウンター廻りがいたく気に入ったあげく、今の家を造るときになぞらしてもらったものなのです。

参考までに2年前の記事のカウンターの画像です。



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こちらのオーナーさんは相変わらず忙しく遊びに仕事に飛び回っておられるようです。
いつもコーヒーをいれてくださるのは娘さん。

奈良の赤膚焼の茶碗がほしいと前々から思っており、いろいろお聞きしたのですが、ほんとうに陶芸作家さんのことをよくご存じで、とても勉強させていただきました。

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こちらで使われているお茶碗(いずれも作家物です)をあれこれ出していただいて、手にとって拝見させてもらいました。

奈良絵(右手前の茶碗、左の湯飲み)のお茶碗は絵がピンキリなのですが、こちらの窯のものはとても丁寧で緻密できれいです。買うのならこの窯のものだな、と心に決めました。

そして真ん中奥の生成り色の茶碗、これがいたく気に入りまして。

やはり裏千家のお茶をされている娘さんの先生が東大寺で釜をかけられた記念のお茶碗だそうで、なんの模様かわかりますか?

そう、大和三山(香具山、耳成、畝傍)なんです。

奈良絵のものはすぐ大和のものだとわかりますが、このお茶碗のようにさりげなく、大和を主張しているのもいいなあ、、と思いました。

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一見伊賀にみえるこの鉢、実はえらく気に入りまして。
これも作家さんのもの。

これに水を張ったら、肌に水がしみでて美しいだろうなあ、、と思っていたら、やはり立礼のお茶会でお客様に見せる茶巾入れとして水を張って使われたとか。いいですねえ、想像してみると。

というわけで、今回もなにがしかの収穫を得ることのできた居心地のよいスペースなのです。

そうそう、こちら生菓子を持参すると、これらのお茶碗でお抹茶をたてていただけるそうですよ。
次回は持って行かなくちゃ。
posted by しぇる at 02:30| Comment(4) | TrackBack(0) | 奈良さんぽ | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

東大寺修二会〜お水取り2011

今年もやって参りました、この季節。

ブログを始めた年の3月からなので、もう5回目になります。

近鉄奈良駅を降りると、なんと粉雪のまう奈良。
またまた寒い日にあたってしまった、、、、けれど、この寒さがお水取りには似つかわしいのです。

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まあ、足取りはだいたい例年通り。
ちゃんともちいどのセンターの萬々堂通則さんによりまして、この季節限定の上生菓子、「糊こぼし」(これも毎年解説しているような、、、、[E:coldsweats01]修二会で御堂に飾られる紙の椿:あるいは糊をこぼしたような白い斑がはいる東大寺・開山堂にある椿)を求めます。



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赤があざやかなやわらかい上生です。
この赤は京菓子ではみられません。よりプリミティヴで力強い感じ。

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陽のおちてきた奈良公園の中をとおりぬけ、

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片岡梅林の梅を愛でつつ、


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浮雲園地をつっきる。
遠景は若草山。


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東大寺二月堂にはもう灯がはいっています。


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例年の如く南側最前列をゲット。

厚着の上に厚着して、貼るカイロをはりまくって静かに日没を待ちます。
なにしろ12月の深夜の春日若宮おん祭の時には死にそうなほど寒かったので、今回寒さ対策は万全。粉雪がちらついてもOK!

しかもその上に(100円ショップで買った)ビニールレインコートを火の粉よけに。[E:wink]

次第に人が集まって、暮れていく様子を。(遠景は奈良市街地)


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右手の大きな杉は「良弁(ろうべん)杉」。
東大寺建立に、大きな役割を果たした良弁和尚が、幼少のみぎり鷲にさらわれて、この杉の上にひっかかっていたのを助けられた、という伝説の杉。ただし何代目からしいです。

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すっかり日も暮れ、二月堂の下では「火消し部員」がスタンバイOKのようです。

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19時、周囲の灯りがすっと消えると、二月堂に登る階段に先触れの火をもった堂童子が階段を登って上堂を告げ、またおりてゆきます。

いよいよ参籠所から練行衆の上堂、先払いのお松明がゆっくりと階段を登ってきます。
いつもいつも感動の瞬間。

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まぢかなので、練行衆が差懸(さしかけ:練行衆のはく特製の木の履き物)をタ〜ンタ〜ンタ〜ンタタタタ、、と音高らかに内陣に入る音を聞くことができます。そのあと追うように梵鐘の音。
音だけでも入陣の様子が目に浮かぶようです。


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火はいいですねえ。
たとえいっときでも、いろいろな悩みを浄化してくれるような気がします。


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今年もたくさんの火の粉を浴びて、無病息災で。


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そのあとは、下に落ちたお松明の燃え残りをめぐって争奪戦?
さきほどの「火消し部員」のおじさんが今年は親切で、たくさんこちらへ放り投げてくれたので大豊作でした!

しばらくは外陣で音楽的な読経の声を聞き、戸帳にうつる幻想的な影がゆらゆらゆれるのを見、こうべをたれるのでした。



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日にちによれば過去帳(有名な青衣の女人がでてくるやつ)の読み上げも聞けるのですが、この日は神名帳の読み上げを。

修二会では上七日は大観音、下七日は小観音が本尊とされ、どちらも絶対秘仏で練行衆ですら見ることができないとか。

小観音については有名な逸話があって、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が夢で見た兜率天での行を、人間界でもできないかと考えていると、難波津から生き身の小観音があらわれ、それを本尊として修二会をはじめたというもの。

絶対秘仏で見ることはゆるされない仏ながら、過去数回おこった火災からはお救いしなければならず、そのとき垣間見た人が残した絵が残っているのですが、なんとも神秘的な仏像なんですね。
生き身、、実はいまも息づいているかも、、、なんて思ったりします。



人もまばらになったころ、さきほどお松明が登ってきた階段をおりて帰路につきます。

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実はこの日も奈良国立博物館にて、お水取りの勉強をしてきました。
毎年なにかしら新しい知識を得ています。

知れば知るほど、修二会は奥行きの深い行なのだなあと思うのです。

日にちのしばりから、今はお松明しか見ることができませんが、リタイヤしたあかつきには数日泊まり込みで深夜の行も見てみたい。
まずはお水取りの名の由来になった12日深夜におこなわれる閼伽井屋の若狭井からくみ上げられるお香水の行列。
次に火と水のもっともダイナミックな行、達陀(だったん)。






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こちらは閼伽井屋。
お水取りの12日になると榊が新しい物になり、注連縄にも独特の飾りがつけられるのです。

遅参した若狭の遠敷(おにゅう)明神がおわびに湧かせようと約束し、白と黒の鵜とともにわき出た香水が若狭井だとか。




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鼻のさきが冷たくなるほどの寒気がしんしんとおしよせてきたので、人気もまばらになった二月堂に後ろ髪を引かれながらも別れを告げます。

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「もうお帰りで?」

そうよ、もう寒いからね、鹿さん。


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戦利品(?)をチェック。
部屋中杉の焼けた良い香り。



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遊・中川さんの奈良本店でおまけにくれた糊こぼしの造花を飾ってみました[E:heart01]
posted by しぇる at 22:52| Comment(12) | TrackBack(0) | 奈良さんぽ | 更新情報をチェックする
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