2009年12月16日

漢詩の世界

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私のお茶セット。

いろいろな種類のお茶をたしなみますので、すべてに対応できるお茶セットが欠かせません。

ちなみに内容は、抹茶と茶杓(あ、茶杓の汚れは気のせいですよ[E:coldsweats01])、茶漉し、宝瓶(取っ手のない急須)、湯冷まし(ミルクピッチャーを流用)、茶葉を測るティースプーン。

抹茶、紅茶、煎茶、中国茶、ハーブティー、なんでもおいしくいただけます。

さてさて、半年ほど前から出勤前にTV見ながら化粧をするのですが(あまり変わり映えしない顔ですけどぉ、、、)、ちょうどこの時間、朝の7:25〜7:30にNHKハイビジョンで「新漢詩紀行」をやっているのです。

たった5分の番組ですが、高校時代大好きだった漢詩の世界を、映像とともに見ることができるので、朝の楽しみの一つになっております。

高校時代、もちろん、やまと言葉の和歌は大好きだったのですが、もっと好きなのは漢詩だったのです。

愛読書の中には、もれなく吉川幸次郎、三好達治、共著の岩波新書「新唐詩選」がはいっておりました。

声に出して読むと、その言い切り、体言止め、のりりしい語感が大好きで、今でも全部は無理でも一節だけは覚えている、という漢詩がたくさんあります。

世間のいそがしさに飲まれてすっかり忘れていたその世界を思い出させてくれ、おもいっきりツボをヒットしてくれる番組なのです。

ああ、きいたことあるある、という詩から、よ〜く知っていて愛唱していた詩、いままで知らなかった詩、朗読は加藤剛さんのしぶいお声で、またこれがよろしいのです。

とくに西域の辺境の地へ送られた兵士たちをうたったものは、その映像にいにしえのシルクロードもかくや、という映像がついていて、心かきたてられます。

あのころ(高校生)井上靖の西域小説にはまって、古代シルクロードへの強い憧れと共に、よけいに漢詩の世界にはまったような気がします。

また、お茶室で拝見する軸の文句は禅語が多いのですが、漢詩もよく使われていますよね。

特に宋代最高の詩人、蘇軾(蘇東坡)は詩人であったと同時に禅の大悟を得た人でもあったそうです。

だから納得したのですが、「無一物中無尽蔵」など、禅語だと思っていたものが実は蘇軾の詩の一節だったのです。

「柳緑花紅 真面目」も、春ののどかな景色を歌ったものだとばかり思っていましたが、ここにも禅の悟りの境地がしめされているのだそうです。

これはやはりまた漢詩も勉強しなくては。



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書道のコーナーでたまたまこんな本を見つけて、つい買ってしまいました。

新漢詩紀行で紹介されていた漢詩が多く収録されているので。

五言絶句、七言絶句といわれる短い(4行)漢詩ばかりを集めたものですが、読んで懐かしい物が多い。

毎日一句音読してみようかな。



ちなみにNHKの番組は副音声で本場中国語の読みが聞けます。

ただし、高校の漢文教師もそれを聞かせてくれたけれど、漢詩は日本語読み下しのほうがぜえったい良い!と独断で思います。

かつて西域ロマンをかきたててくれた一句。是非声にだして読んでみてください。

     渭城朝雨潤軽塵
     客舎青青柳色新
     勧君更尽一杯酒
     西出陽関無故人      王維

渭城の朝雨、軽塵を潤し
客舎青青柳色新たなり
君勧む 更に尽くせ一杯の酒
西のかた陽関をいづれば故人なからん


渭城:西安市の北に位置し、渭水に望む渭城は都を離れる旅人を見送る地として著名。
陽関:敦煌市の南西70余㎞、古代シルクロードのひとつ『西域南道』の東の関門であった。ここを越えるともう西域、知った人(故人)ももういない。


posted by しぇる at 22:49| Comment(10) | TrackBack(0) | 本・映画 | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

「洛中いぬ道楽」〜京都で犬と暮らす〜玉葱ぽん・著

ベトナムから帰ると、、、猫が一匹、ふえてた[E:coldsweats02]

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娘がおいていったフレディさん、また帰ってきました。

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ひと月、宝塚へ里帰り滞在のご予定だが、シェルにとっては迷惑この上ないお客のようで、、、。

それにしてもぶどう対岡山の桃対決(?)


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さて、京都ブロガーさんで、時々一緒に遊んでもらっているぽん様がついに本をださはった!

といっても、もともとライターさんで、全国誌にも登場されたことのある方なので、いつかは本ださはるやろな、とは思うておりました。

これ1冊をベトナム旅行で読もうと、、、、思っていたのに、関空で飛行機に搭乗するまでに読破しちゃって、、、[E:coldsweats01]

つまりそれほど読み始めるとひきこまれてとまらなくなるおもしろさ、であります。

これは、ぽん様ご夫婦が、引き取り手がなければ死を待つだけの子犬を引き取られ悪戦苦闘(?)した実際の記録なのです。

生き物ゆえに、こちらの思うようにはいってくれず、手間ひまかけさせられ、さらには京都という狭い世間の中でご近所さんに迷惑をかけたりかけられたり、それでも「京の人づきあいの智恵」をもって折り合いを付けながら犬たち(ぱる君とぷんて君)にそそぐ限りない愛情がなかせます。

本の中でもいっておられますが、一番腹が立つのは、いったん飼った動物を飽きたから、とかめんどうだから、大きくなって食費がかかるから、、、などの身勝手な理由で捨てたりネグレクトしたりする飼い主!

一度引き受けたらよれよれになって介護が必要になっても、惚けて粗相をしても、責任を持って最後まで愛しぬけ!
その覚悟がないなら初めから飼うな!

これは私も声を大にして言いたい。

さて、この本で私が一番夢中で読んだのは実はややこしいご近所さんとの大小さまざまなトラブルの一節。

近所づきあいの間の取り方のむつかしい京都でなくても、おるおる、どこにでもおるよ、こういうご近所さん。

うちも今の家に引っ越してきたときに、初め親切そうだったご近所さんがえらいトラブルメーカーで、いろんないやな思いをした経験があります。(今でもその一家とは口きかない[E:pout])

この本にでてくるご近所さんと共通だな、と思うのはまわりの状況のよくわからない新参者に

「あんたとこには、みんなが迷惑しとる。」

という論法を使うことだな。

まわりみんなが敵なんだ、と被害妄想におちいらせてびびらす。

本当は文句をいっている当のご本人だけの意見なんだが。

私も若い頃はそれがわからんで、外にでるのも憂鬱だった時期がある。状況がわかってみればみんなに迷惑扱いされてるのはそっちやん、、、ってわかるのに。

いや〜、今度の引っ越し先も同じようなややこしいご近所さんがいっぱいいそうだな〜、、、でも「京都人のご挨拶」を学習して、ちと距離をおいた冷静な見方をしないとね。

でも、ぽん様には

「元気にしてるか。はじめだけ親切であれこれかもうて、気に入らんことがあったら手のひら返すような人もいるけど、気にしたらアカンえ。もっと伸び伸び暮らしなさいや。」

と声をかけてくれるご近所さんもいて、これもひとえにぽん様ご夫婦の人徳でしょうが、ほっとしますね。

さて、要介護犬になったぱる君には一度お目にかかったことがあります。

大型犬の介護がいかに大変かは、ぽん様のブログでよくわかります。

足腰がたたなくなっても外にお散歩に行きたい!という切なる願いをかなえるため、犬用車椅子(?のようなもの)をこしらえたりして、その愛情がどれだけのものなのか、ちょっと書いてて涙ぐんでしまうほどです。

犬好きのかたも、猫派のかたも、京都の人づきあいのむつかしさを実感されておられる方も、ご一読おすすめしますよ。

さて、続編として、老犬介護編を是非、読ませてほしいです〜。
posted by しぇる at 21:16| Comment(12) | TrackBack(0) | 本・映画 | 更新情報をチェックする

2009年08月05日

「この世界の片隅に」〜こうの史代・作

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8月、、、というと6日の広島、9日の長崎、15日の終戦記念日、ある程度以上の年齢の人なら戦争のイメージをもっているのではないでしょうか。

私はもちろん戦後の生まれではありますが、物心ついた頃に、まわりには戦争のことを語る大人はまだ多くいました。

いまでは戦争の語り部も少なくなり、残念ながら若い世代には遠い夢の国の話に風化しつつあります。

こうの史代さんを知ったのは2年前夕凪の街・桜の国という、戦後10年たった広島、最後には原爆症でこの世を去る娘と、さらに現代に生きるその姪のことを描いた作品を読んでからです。

とてもいい作品で、映画にもなったそうですが、決して原爆の物理的な悲惨さを声高に語った物ではありません。

被爆していつ発症するかわからない原爆症の恐怖をかかえながらも、全く肩に力を入れないで自然体に、少しとぼけたような日々を送る主人公の日常をていねいに綴っているだけなのです。

だからよけいに、彼女の死を暗示するラストが、原爆が人類になにをしたのか、、、を問いかけてくるような気がするのです。

そしてこうのさんの新しい作品、「この世界の片隅に」、これもまたとてもしみじみ心にしみてくる良い作品でした。

昭和9年から終戦の20年の年の暮れまで、主人公すずの広島での子供時代から、呉へ嫁いで北條すずとなってから、、、昭和の暮らしがていねいに描かれています。

こうのさんの描く女の子はとてもかわいくて、特に小さなおかっぱ頭の女の子が照れて笑っている姿はもう、抱きしめたくなるくらいいとしいのです。

すずは絵を描くのが好きで、どこかとぼけた娘で、今の言葉で言うといわゆる「天然(ぼけ)」でしょうか。

呉に住む夫となる北條周作さんとの子供時代の出会いはじつはとてもシュール、、、かつラストの伏線にもなっています。(まあ、これはネタバレになるので読んでね)

周作さんに望まれて、若くして嫁に来たすずは義父母、叔父叔母、そして近所の人たちに温かく迎えられます。

ちょっととぼけてて、たよりなく不器用なところがほおっておけないのでしょうか。


時代は戦争へとつきすすみ、呉は空襲爆撃をうけるようになります。

毎夜防空壕に逃げ込んだり、町にがれきや死体が転がる状況下においてもなお、すずはユーモアやおもいやりを忘れず、自然体で生きていきます。

食糧難で道ばたの雑草を使った楠公飯という超!まず〜い代用食の作り方や、落ち葉を焦がしてこねて作る代用炭団(たどん)の作り方や、着物からもんぺを作る作り方。こんなことまで描かれています。

これは生きた戦争中の昭和文化史にもなっています。

(作者はもちろん若い方ですので、お年寄りから聞いた話で描かれているのですが、もしまちがったことを描いていたら訂正してください、というコメントをつけてはります。)


さて、いつしか北條の家で自然に家族の一員になったすずですが、ただ一人、出戻りの義姉さんだけはちょっと意地悪。
でも私は全編をとおして、この義姉さんとすずの関係が変わっていくところがとても好きです。

嫁いで若くして夫に先立たれ、跡継ぎの息子は婚家にとられ、幼い娘の晴美をつれて帰ってきた義姉さん、すずのぼ〜っとした垢抜けないところが気に入りません。

ある日、「お母ちゃんの具合が心配で周作の結婚をせかしたけれど、わたしがずっとおりゃ嫁なんぞまだいらんかったんよね。、、、すずさん、あんた広島へ帰ったら?」

と暗に離縁をほのめかして義姉さんは夕食時にみんなの前で言います。

すずは天然(?)ですから、「ええんですか?(里帰りしても)」と逆によろこぶ勘違い。

ところが義父母までが「ほんまじゃ、気がつかんでわるかったのう。径子(義姉)も言うとるし、2,3日ゆっくりしてくりゃええよ。」と勘違い。

それだけ、すずはもう北條の人間になりきっていたのですね。「ありがとうございます!!おねえさん」と逆に感謝され「そ、、そりゃよかった、、、」と言うしかない義姉さん。悪い人じゃないのですよ。でもその顔がおかしくて。

それにしても里帰りしてうたたねをし、目覚めて「あせったあ、、呉へお嫁に行った夢見とったわ!」と、ぼけるあたりさすがすずです。母親にほっぺたつねられてましたけど[E:coldsweats01]

戦況が悪くなる中、口ではきついことを言ったりしつつも、義姉さんはすずをなにかとかまってくれます。
義姉の娘、幼い晴美ちゃんは、すずによく遊んでもらいすっかりなついています。

ところがある日、投下された時限爆弾の炸裂が、すずの絵を描くのが大好きだった右手と、その手をしっかり握っていた晴美ちゃんの命を奪ってしまうのです。

「あんたがついておりながら、、、人殺し!晴美を返して!」

傷を負ったすずに義姉さんは、つめよりますが、心では決してすずを恨んではいないのです。どこにもぶつける場所のない思いを叫ぶことで少しでも紛らそうとする、せつない場面です。

広島から、すずを見舞いに来た妹は「家のことができんかったら、北條の家におりづらいじゃろう。広島にかえっておいでや。」といいます。

晴美を死なせてしまったこと、周作さんが結婚前につきあっていたらしい赤線(わからない若い人はしらべてね)の女性りんさん(すずはこのりんさんとも友達になっているのですが)のことで周作さんとのあいだにできた小さなわだかまり、たびかさなる爆撃、、、、耐えきれず心が弱くなったすずは、実家の広島にかえることを決意します。

たとえ「すずさん、わしは楽しかったで。この1年、あんたのおる家へ帰れて。あんたと連ろうて歩くんも、たらたら喋るんも嬉しかったで。あんたは違うんか。」と周作さんに言われても。

その運命の8月6日の朝。片手で不自由そうに荷物をまとめるすずに、口ではきついことをいいながら、自分で縫った、片手でも着られるもんぺを渡す義姉さん。

そしてすずの髪を梳いてやりながら、、、

「こないだは悪かった。晴美が死んだんをあんたのせいにしたりして。」

「周りの言いなりに知らん家へ嫁に来て、言いなりに働いて、あんたの人生はさぞやつまらんじゃろう思うわ。
じゃけえ いつでも往にゃええ思うとった。ここがイヤになったならばね。」

「ただ言うとく。わたしはあんたの世話や家事くらいどうもない。むしろ気が紛れてええ。失くしたもんをあれこれ考えんですむ。」


「すずさんがイヤんならん限りすずさんの居場所はここじゃ。くだらん気兼ねなぞせんと自分で決め。」



そしてすずは、、、「やっぱりここへ居らしてもらえますか」

腕にすがりつくすずに、義姉さんは「わかったから、離れ!暑苦しい」と口は相変わらず悪いですが、うれし涙です。


その時、、、、、、、、

「、、、?、、、なんかいま光ったね?」


、、、、、、、はるか広島の空で炸裂した原爆の閃光が呉にも届いたのでした。

そして終戦。

広島の実家のすずの母は爆心地で亡くなり、母を探しに行った父は数ヶ月後に原爆症でなくなり、妹は親戚のうちでふせっていました。腕には出血斑がつぎつぎと。彼女はすでに重い原爆症を発症していたのです。

「すずちゃん、うち治るかねえ、、、」

「治るよ、治らんとおかしいよ、、、」

これもせつない場面です。

妹を見舞うことが出来たすずと、迎えにきた周作さんは、家に帰る前に小さな原爆孤児の女の子にであいます。

「あんた、よう広島で生きとってくれんさったね。」

二人はこの子を呉へ連れて帰ります。北條の家族はなにも訳など聞きません。すんなり事態を受け入れます。

そして、最後の一こま。

義父母は「とりあえず風呂かのう。」「ものすごいシラミじゃ。大鍋に湯う沸かし!着とるものみな煮るで。」

叔父叔母は「明日米軍へ連れて行き。DDT(わからない人は調べてね)をまぶして貰うたらええわ。」

そして今は亡き娘の遺した洋服を引っ張り出して「晴美の服じゃ小まいかねえ、、、」と早速思案する義姉さん。

家族がまだ家族でありえた時代のお話。


自己中心的な人が次々おこす事件、家族は求心力を失い、地域では他人のことにお互い無関心。
当座は戦争の心配もなく、物も豊かにあふれている今という時代が、決して幸せな時代ではないことをあらためて思います。

やわらかい、私には近しい広島弁(私は岡山弁speaker)、こうのさんのやさしく暖かい絵、この家族の暖かさにいやされながらも、悲しみを感じるのはその背景に色濃く陰をおとす戦争のせいなのでしょう。

決して声高に戦争の悲惨さを訴えてはいません。でも確かに反戦の思いを心に種まく作品だと思います。
posted by しぇる at 21:45| Comment(14) | TrackBack(0) | 本・映画 | 更新情報をチェックする
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