
(大丸・宮沢賢治。詩と絵の宇宙展)
それはそれでうれしい。
うちのめされた人の心にしみいる詩だから。
でも、賢治の宇宙はほんとうはもっともっと広いのだ。
実は高校生の頃、私は宮沢賢治全集を学校の図書館でほとんど読破した。
そして賢治についてどんなことでも知りたいと、いろんな資料を読みあさった。

大学に入って、この全集を河原町の古本屋でなけなしのバイト代をはたいて買った。
そして賢治の足跡をたどって、イーハトーヴ(花巻、盛岡周辺)巡礼をすること2回。
そこまで彼の詩が、物語が、歌が、そしてその生き様が、アドレッセンス(思春期)中葉(これは賢治が生前唯一出版した「注文の多い料理店」で対象者として書かれている言葉です)の私を惹きつけてやまなかったのだ。

小学生の頃、初めて「銀河鉄道の夜」を、読んだ。
この物語の原稿は散逸部分が多く、未完成原稿であり、話の筋がすっきり終わらないことから、一体最後はどうなっているのだ?といういらだたしい思いをかきたてた。
それだけに気になる物語だったのだ。
もう少し大きくなって、高校生のころに再会できた幸運をよろこばずにはいられない。
未完成稿など気にもならない、おおきくて、おおきくて、はてしなくて、壮大で、、、そして美しい物語としてよみがえった。
(なにしろ「銀河鉄道999」なんて名オマージュができるくらいですから)
そして賢治全集に突進したわけで。
なのに、大人になってしばらくあの賢治ワールドを忘れていったのは、アドレッセンスをとうにとうに過ぎて浮き世のアクにまみれていたからなのだろうなあ。
大丸ミュージアムで宮沢賢治・詩と絵の宇宙をやると聞いて、かつての自分に会いたかったのかもしれない。
賢治の年表、原稿、手帳はもう何度も見ているので頭にはいっているのだが、イーハトーヴ周辺の地図を見たときは、行った時の思い出がいっぺんによみがえって思いがけなく目頭が熱くなった。
イギリス海岸(賢治命名・北上川の白亜紀の岸辺)では賢治作詞作曲の「Tertiary the younger」を口ずさみつつ、
羅須地人協会の建物を見に花巻農業高校に許可を得て入り込む。
賢治設計の花時計を見に花巻温泉へ。
旧花巻農業校跡の「早春の詩」碑を声をだして読み上げ、
旧盛岡高等農学校時代の建物を見るために岩手大学農学部へ。
当時は弟の清六さんの表札がかかった賢治の家をなんどもうろうろ。
盛岡の光源社(「注文の多い料理店」を出版)は今は民藝関係のお店になっている。
はてはセメント工場しかないのに、賢治の晩年の職場だった東北砕石工場あとまで見にいった。
賢治の物語のなかにでてくる地名もつぶさに踏破。
束稲山、早池峰山、遠野、小岩井農場、岩手山、、、、
大丸ミュージアムで今回展示されている多くの物語の挿絵。
うっすらとしか内容を覚えていない物もあれば、はっきり中のセリフまで覚えている物まで、見ながらあの頃の気持ちを追体験していく。
「水仙月の四日」、「雪渡り」、「どんぐりと山猫」そして「銀河鉄道の夜」がやはりいいなあ、、、
賢治の宇宙は美しく果てがなく、こんなにも画家のイマジネーションを刺激してやまないのだな。
それでも、もうあの頃のようにその世界と一体になれることはもうないだろう、という一抹の悲しさも感じる。
賢治、享年37才、それをもうどれだけ過ぎて私は生きてきてしまったやら。
賢治の「農民芸術概論要綱」に当時大好きだった言葉がある。
「まづもろともに かがやく宇宙の微塵となりて 無方の空へちらばらう」
当時、これから始まる人生への道しるべとも思っていた言葉である。
今、自分を振り返って、「かがやく微塵」になれているかどうか、、、はなはだ疑問に思えるのが少し悲しい。