2012年03月16日

宮沢賢治・詩と絵の宇宙

東日本大震災から1年、東北は岩手が生んだ宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が復興をめざす人々の愛唱歌になっているそうだ。

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(大丸・宮沢賢治。詩と絵の宇宙展)

それはそれでうれしい。
うちのめされた人の心にしみいる詩だから。

でも、賢治の宇宙はほんとうはもっともっと広いのだ。

実は高校生の頃、私は宮沢賢治全集を学校の図書館でほとんど読破した。
そして賢治についてどんなことでも知りたいと、いろんな資料を読みあさった。



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大学に入って、この全集を河原町の古本屋でなけなしのバイト代をはたいて買った。

そして賢治の足跡をたどって、イーハトーヴ(花巻、盛岡周辺)巡礼をすること2回。

そこまで彼の詩が、物語が、歌が、そしてその生き様が、アドレッセンス(思春期)中葉(これは賢治が生前唯一出版した「注文の多い料理店」で対象者として書かれている言葉です)の私を惹きつけてやまなかったのだ。


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小学生の頃、初めて「銀河鉄道の夜」を、読んだ。

この物語の原稿は散逸部分が多く、未完成原稿であり、話の筋がすっきり終わらないことから、一体最後はどうなっているのだ?といういらだたしい思いをかきたてた。
それだけに気になる物語だったのだ。

もう少し大きくなって、高校生のころに再会できた幸運をよろこばずにはいられない。
未完成稿など気にもならない、おおきくて、おおきくて、はてしなくて、壮大で、、、そして美しい物語としてよみがえった。
(なにしろ「銀河鉄道999」なんて名オマージュができるくらいですから)

そして賢治全集に突進したわけで。

なのに、大人になってしばらくあの賢治ワールドを忘れていったのは、アドレッセンスをとうにとうに過ぎて浮き世のアクにまみれていたからなのだろうなあ。

大丸ミュージアムで宮沢賢治・詩と絵の宇宙をやると聞いて、かつての自分に会いたかったのかもしれない。

賢治の年表、原稿、手帳はもう何度も見ているので頭にはいっているのだが、イーハトーヴ周辺の地図を見たときは、行った時の思い出がいっぺんによみがえって思いがけなく目頭が熱くなった。

イギリス海岸(賢治命名・北上川の白亜紀の岸辺)では賢治作詞作曲の「Tertiary the younger」を口ずさみつつ、
羅須地人協会の建物を見に花巻農業高校に許可を得て入り込む。
賢治設計の花時計を見に花巻温泉へ。
旧花巻農業校跡の「早春の詩」碑を声をだして読み上げ、
旧盛岡高等農学校時代の建物を見るために岩手大学農学部へ。
当時は弟の清六さんの表札がかかった賢治の家をなんどもうろうろ。
盛岡の光源社(「注文の多い料理店」を出版)は今は民藝関係のお店になっている。

はてはセメント工場しかないのに、賢治の晩年の職場だった東北砕石工場あとまで見にいった。

賢治の物語のなかにでてくる地名もつぶさに踏破。
束稲山、早池峰山、遠野、小岩井農場、岩手山、、、、


大丸ミュージアムで今回展示されている多くの物語の挿絵。
うっすらとしか内容を覚えていない物もあれば、はっきり中のセリフまで覚えている物まで、見ながらあの頃の気持ちを追体験していく。
「水仙月の四日」、「雪渡り」、「どんぐりと山猫」そして「銀河鉄道の夜」がやはりいいなあ、、、
賢治の宇宙は美しく果てがなく、こんなにも画家のイマジネーションを刺激してやまないのだな。

それでも、もうあの頃のようにその世界と一体になれることはもうないだろう、という一抹の悲しさも感じる。
賢治、享年37才、それをもうどれだけ過ぎて私は生きてきてしまったやら。


賢治の「農民芸術概論要綱」に当時大好きだった言葉がある。

「まづもろともに かがやく宇宙の微塵となりて 無方の空へちらばらう」



当時、これから始まる人生への道しるべとも思っていた言葉である。

今、自分を振り返って、「かがやく微塵」になれているかどうか、、、はなはだ疑問に思えるのが少し悲しい。
posted by しぇる at 19:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月08日

「瞳の奥の秘密」EL SECRETO DE SUS OJOS

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今年のアカデミー賞最優秀外国語映画賞(「おくりびと」がもらったやつね)のアルゼンチン映画。

いつもはあまり受賞作品だから、とすぐにはとびつかないのだが、なんといってもスペイン語映画だし(生きたスペイン語の学習)、ご愛用シネリーブル梅田上映だったし、前評判がすごく良い、ということだったので。


2時間の長い映画でありながら、ついのめりこんで最後まで見ることができた。
25年もの間のながいロマンスでもあり、どきどきするサスペンスでもあり、考えさせられる重いテーマもあり、少しのユーモアもあり。大人の映画ですね。

ロマンスとしてもさることながら、一番考えさせられたのは死刑とはほんとうに適正な処罰なのか?ということ。
もちろん、安っぽい死刑廃止論ではない。

アルゼンチンには死刑制度はない。
作中で残虐に若妻を殺された夫のセリフ。
「もちろん、僕は死刑は反対だ。無期懲役ですよね。犯人にはこの先死ぬまでずっと、ずっとむなしい時間をすごしてほしい。」
実はこれがこの映画のキーワード。(これ以上はネタバレになりそうなのでやめておきますが)

簡単に殺してしまえば、被害者家族はいっとき気がはれるだろう。
そういう意味で、私は死刑もやむなし、と思っていたのだが。
しかし、そんなに早く、ある意味楽にしてやってよいのか。

無期懲役こそが実は一番残酷な刑罰である、という考え方もある。
(日本のように無期懲役でも何年かしたら出てくるのではなく、死ぬまで服役)

これは死刑存続派にも死刑廃止論者にも考えて欲しいテーマ。

死刑は残酷だから廃止、というならずっと檻に閉じ込められて死ぬまで、、、というのは残酷ではないのか。
被害者家族感情を考えると報復に死を、というなら、殺人者には一瞬の苦痛、しかし家族にはおそらく生きている限り続く苦痛。心は癒されるのか。

さらに無期懲役ならば、われわれの血税で殺人者を長く食わせてやらなければならない矛盾も。

物語のスタートは70年代のアルゼンチン。
軍事政権が国民弾圧を始める直前で、世相は不安定、政治家や公務員、警察は腐敗していた時代背景も頭に入れておいて見た方がいいだろう。(なんで判事があんなに違法行為を楽々出来るの?という場面があるので)

主人公の、年上のアル中の部下、ウッディ・アレン似の男優さんがとても良い味をだしていた。
酔っぱらって奥さんに家から閉め出されるかと思えば、するどい推理を披露する。
とぼけた味があると思えば、最後に尊い人間としての尊厳をみせつける。
へたくそな役者がやるといかにも作り物っぽいところを、さすが最優秀助演男優賞を受賞した役者さん、むべなるかな。

最後にタイトルについて。
瞳の奥の秘密、、、、だれの瞳か?ということ。

この原題ではsus ojos。

スペイン語のsu(s)は英語でいえばhis(彼の)やher(彼女の)にあたる所有をしめす形容詞。ときには丁寧語のyour(あなたの)であることも。

つまり誰の瞳にもあてはまるということ。

そう思って考えると、ヒロインの瞳でもありうるし、被害者の夫の瞳でもありえる、、、

だれでもその瞳の奥に秘密をかくしている、、、そういうことか。
posted by しぇる at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

「ええもんひとつ〜とびきり屋見立て帖」山本兼一・著

「利休にたずねよ」で直木賞をとらはった山本兼一さんの新刊です。

実は山本一力さんの本だとばかり思って中も見ずに買ってみて、「あれ〜?一力さん、京ことば上手に使わはるな〜。」と。

あはは、、、兼一さんの方でした。京ことばがお上手もなんも、京生まれの京育ちのおひとやんか!

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舞台は幕末の京の町、三条木屋町に「とびきり屋」という骨董屋をかまえる若夫婦、真之介とゆずを巡る物語。



骨董屋さんの仕入れや、商売の仕方など、裏側をのぞけるのも楽しみだし、ストーリー自体もほのぼのとして面白いのですが、私が一番楽しんだのは、京都の地名がたくさんでてくることなんです。



もちろん、幕末のころの京都と今の京都は違うことも多いとは思いますが、少なくとも通りの名前や、100年以上の歴史を持つ老舗やらはかわらないわけで、地名を聞いただけで、ああ、あの辺や、、と頭にうかべてはニヤニヤしてしまいます。


(こんなに変わらない町って他にあるでしょうか?)

しょっぱなから下御霊神社が出てきて、ああ、寺町のあそこやな、、、と。

ゆずの実家が新門前の格式のある大きな骨董屋、とくれば新門前、古門前の骨董屋ストリートを思い浮かべますし。

三条通りの富小路あたりの名代の扇屋、、、とくれば、ははあ、、宮○売扇庵だな。

山本氏の茶道や香道への造詣の深さも生かされていて、作中にでてくる骨董品には、聞香炉や茶壺など、茶道・香道の道具も多く、道具の見分け方の参考になるようなことも書かれていて、勉強になります。

登場人物も魅力的な主人公(とくにゆずさん、すてきどっせ[E:lovely])だけでなく、坂本龍馬や桂小五郎、その奥さんの幾松さん、新撰組の芹沢鴨まででてきはるのえ。(なんだか自然に不自然な京ことばになっちゃうな〜[E:coldsweats01])

そして規模としては小さいながら、おなごし(女子衆)さん、丁稚さんを何人か、かかえる京の商家のくらしが垣間見えて、そして町家のたたずまいまでが目に浮かぶようでした。

「何十年、何百年とつづく京の古い店は、どの家も、じぶんたちの商売をかたくなに守り通している。それは、人と人のつながりがあってこそ成り立つ。仕入れ先と店。店と客。長年にわたって培われた信頼関係があればこそ、商売がうまくまわっている。」

京の老舗の極意ですなあ。

願うらくは、こういう矜持をもったお商売の仕方が、この先もずっと王道であり続けますように。

この「とびきり屋見立て帖」は多分シリーズ化されると思うので、続きが楽しみです。
この仲良しの夫婦、実は駆け落ち同然、その夫婦の物語の今後もみのがせませんわ。




   *     *     *

「ええもんひとつ〜とびきり屋見立て帖」

  山本兼一・著   文芸春秋社
posted by しぇる at 22:31| Comment(8) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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