祖父である利休が賜死したため、時の権力にさからわぬよう、ひたすら地味に貧しく生き抜いたことから「乞食宗旦」ともよばれますが、それゆえに利休の「侘び茶」を身を以て体現した人でもあったと思います。

弘道館の月釜の日、御所に車をとめたらあたりは黄色い絨毯がしきつめられていました。
きれいだけど、タイヤがちょっとスリップ[E:wobbly]

日ざしも影が長くなって、あと一月ほどで冬至なんだな、と実感。

待合の障子の影も淡々と柔らかい。
このほの暗さ、ほの明るさが障子の功徳、日本建築は自然の美しさとうまく調和していて、やはりいいなあ。

待合へご案内がきて、、

本日は露地を通っての席入りです。
いつもの広間でまず開炉祝いの善哉をいただきます。

珠光の禅の師であった一休禅師が、大徳寺の住職からお餅の入った小豆汁をごちそうになり「善哉此汁(よきかなこのしる)」と言ったことから善哉。
珠光は侘び茶の嚆矢ですから、そういう意味で、善哉という食べ物はお茶の世界ではとても重い物なのです。

おお!
白い善哉!
この日のために特注の粟餅とめずらしい白い小豆でつくられた白善哉です。
ありがたや、ありがたや。
さて、ここで太田さんからクエスチョン。
善哉には食べ好いように黒文字の他に赤杉箸が添えられますが、裏千家ではこれは横から見ると長い平行四辺形。
では横から見て台形の杉箸は何流でしょう?

正解)表千家。
ひねりすぎて藪内とか織部流とか言って間違えましたが、正解者には北野天満宮・御土居の入場券が。
残念![E:sad]
座敷の掛け物は宗旦忌にちなんで、宗旦狐の画賛。
ただし、杖のような物をもっているので、ほんとうはお能の「釣り狐」の白蔵主ではないかと私はにらんでいる[E:coldsweats01]
まあ、鼠の天ぷらを食べて正体を現してしまうところは同じだけれどね。

これは10月ごろに撮った相国寺にある宗旦稲荷の写真。
宗旦に化け、本物と見分けが付かないくらい上手な点前をし、相国寺の財政難も救ったという逸話があって、いまでも親しみをこめて相国寺に祀られています。

相国寺近くの豆腐屋の危機をある時すくった宗旦狐ですが、御礼に豆腐屋からもらった鼠の天ぷらを食べ、神通力を失い、犬に追いかけられて命を落としたとか。
そのよけいなことをした豆腐屋さんの子孫がいまでも寺町今出川あたりでまだ豆腐屋をやっているそうですよ。
もう一つの床の掛け物は狩野探幽の豪快シンプルな墨絵の火珠。
11月、京都の各神社では護摩木を焚きあげる、お火焚きがおこなわれますので、火珠はそのシンボルなんです。
(ちなみに京都では紅白のお火焚き饅頭とおこしを食するそうですが、私はおこしの方はまだ未体験です。)
生活に窮していた宗旦は、大徳寺の僧侶に字を書いてもらってはそれを売って生計を立てていたそうですが、探幽とも親交があり、その絵がいくらで売れた、という消息も残っているとか。
自分は生涯仕官をしませんでしたが、3人の息子を(長男は勘当された)それぞれ有力大名に仕官させるなど、意外とちゃっかりしてますね。
それでもだれからも憎まれなかったのは宗旦の人柄なのでしょう。

これは濃茶席の花ですが、これとは別に広間には花器にいけられた椿と、その敷板の上にぽとんと椿のつぼみが置かれています。
これも宗旦にちなんだ宗旦椿の趣向。
ある寺の和尚さんが、寺の庭に咲いた「妙蓮寺」という銘のある椿の一枝を、小僧に持たせて宗旦のもとへ届けさせたそうです。椿の花は、とかく落ちやすいので、気をつけていたものの小僧は、途中で花を落としてしまった。
宗旦は、小僧の粗相をとがめず「今日庵」に招き入れ、利休のかたみの「園城寺」の花入に、花のない枝を投げ入れ、その下に小僧があやまって落とした椿の花を置いてともに茶を飲んだ、、という逸話。

濃茶席の軸は吉田兼好の「神無月(太陽暦でいまごろ)云々(読めなかった、、、)」という歌。
すごいものが次々でてきますねえ、弘道館。
茶器は宗旦の小棗。
高麗刷毛目茶碗で濃茶、いただきました。
宗旦の人柄に思いを馳せつつ、帰りのよりみち、例によってとらやさんの一条菓寮。

お火焚き饅頭ならぬ、ほかほかの虎屋饅頭をいただく。
ほっ[E:japanesetea]
障子を通した光と影がきれいだし、宗旦狐はどこか愛嬌があってかわいいですね。
それにしても弘道館のお庭の清々しいこと!落ち葉はないのですか。
うちの庭は掃いても掃いても葉っぱが降って、苔はうずもれています。
とらやの何でもないほかほかのおまんじゅうも美味しそうです。食べたいなあ。
なかなかお忙しくてご一緒できないのが残念です。
こまめに記録して残しておかないと、いいなとおもたこともすぐ忘れてしまうもので、[E:coldsweats01]それがお役に立てばさいわいです。
弘道館のお庭は席入りの前、スタッフの方がせっせときれいにしておられました。たいへんなご苦労だと思います。
京都の紅葉の名所は時雨くらいの落ち葉の雨。
風情があって美しいのですが、だれがお掃除するのかと思うと、、、、
いやはや、美しい物を愛でるのは影のご苦労があってのことですね。
すぐ濃茶席に移動になったので、本床の花をもう少し見たかった!と残念です。
脇床のはしっかり拝見できました。
あれは現代作家さんのものでしたね、たしか。
そこに宗旦椿をからめるとは、さすが、としかいいようがありません。