来月はお水取りのお松明を見に、今年も出かける予定ですがその前の二月堂もみておきたいと足をのばします。

東大寺は南大門まで行かずに浮雲遊園をつっきって行く二月堂への道。

昨年この遊園の真ん中に奈良県新公会堂。
こんな場所にわざわざ建てなくても、、、と私などは思うのですがね。

大仏殿を背景に、鹿にエサをやるところを写真撮影中のハネムーンカップル(???)

まずは三月堂(法華堂)にでました。
この柳は春にはここのランドマークになるんですよ。
現在ここは閉鎖中。
不空羂索観音と日光・月光菩薩がおられたのですが、ただいまは新しくできた東大寺ミュージアムへ仮住まい中。
やはりこちらのお堂で拝みたい。
三月堂の前の石灯籠に発見!

この巻かれた注連縄は修二会のまえにおこなわれる結界なんです。
ご存じの方はご存じでしょうが、お水取りは実はお松明の期間(3/1〜14)だけではないのです。
2月の中頃より練行衆は、別火坊にて、俗世間を絶った生活、世間と火を別にする=別火(べっか)にはいります。
2月20日から試別火(ころべっか)。
この間本行中に着用する紙衣をつくったり、糊こぼしの椿の造花をつくったり(花ごしらえ)、灯心そろえをしたり、社参をしたり、準備をかさねます。
2月26日からは惣別火(そうべっか)。
この日から練行衆は別火坊から一歩も外に出られず、地面をあるくこともゆるされません。
なので前日の社参は暇乞い(娑婆へのおいとま)とよばれるのもおもしろい。

この日は試別火の期間中ということになります。
この画像は開山堂の中をのぞいてみたもの。
開山良弁僧正をまつるこのお堂の中にあるのが有名な椿、糊こぼし。
まあ、のぞいてみても見えないんですけれどね。

ここの坊の方が、練行衆になられたようです。
入り口に結界の注連縄が。

本行の時を静かに待つ二月堂。

ここもすでに結界されています。

これをお堂側からみたらこんなふうになっていました。
毎年お松明のあと、のぼって前を通っているはずなんですが、気づかなかったなあ。

上からのぞいたところ。

お堂の正面(西)の吊り灯籠。

裏側(東)のいわゆる瓜灯籠。
二月堂のシンボルかな。

本行でお松明とともに練行衆が上堂してくる登廊。

階段を下りた正面にある湯屋。
本行中の練行衆の食事をここでつくるとか。
ちなみに練行衆の食事は1日1回きりなんですよ。
そのため食事には体力をつけるようにと、献立にさまざまな工夫がされているとか。

これがその食堂(じきどう)。
食事も行のひとつとして、きめられた食作法があります。

食堂の向かい、正面の建物が本行中の参籠所。

まだ青々としたお松明の竹です。
美しい、、、、。

本行中、12日深夜、お水取り(香水・こうずいをくむ)がおこなわれる閼伽井屋。

その屋根に鎮座する鵜。
修二会をはじめた実忠和尚の勧請に遅参した遠敷(おにゅう)明神が、おわびにと香水を湧かせようと約束。
飛来した二羽の鵜がとまった場所からわき出た御香水。
これが若狭井とかや。

帰りは北側の大好きな裏参道より。
来月がはやくも楽しみです。
水取りやこもりの僧の沓の音 芭蕉
お水取り関係の展示があり、ボランティアガイドさんが
小一時間ほどつきっきりで説明してくださいました。
午前中に大阪で公慶上人の細字横物を拝見してきた後に
ここで江戸時代の大仏の再建での公慶上人の話をお聞き
でき、感慨深いく拝聴しました。
17世紀の二月堂炎上に関わることを、展示されている
練行衆の日記のその記述部分を示しながら話され、
また、練行衆の紙子の説明では歌舞伎の助六の話も
でるなど、尽きない話題で本当に楽しかったです。
その後でしぇる様の書かれているところをなぞった
ように散策しましたので、本当に驚いています。
金曜日に行かれたのでしたらどこかですれ違ったかも
しれませんね。
公慶上人、、、公慶上人、、、どこかで聞いたような、、、と思いつつ調べたら、ああ、そうだ、NHKのヒストリアで知ったお方でした。
(忘れているようでは東大寺フリークとはいえませんね)
奈良はどこの施設に云ってもボランティア(?)ガイドさんがおられるのがありがたいです。中にはほんとうにすごく博識な方もいて、そんなガイドさんにあたられたのでしょう。よかったですね。
炎上の時に、絶対秘仏の小観音を救い出した人が残した、ちらっと見た観音様の絵も博物館の展示でみたことがあります。興味はつきませんね。
ちなみに私が行ったのは野中の清水様が行かれた1日前でした。