2012年10月13日

野村美術館講演会〜「利休にたずねよ」山本兼一氏

お茶をやっている方ならきっと手に取り、読まれているであろうこの本。

P1000765

「利休にたずねよ」

作者の山本兼一さんはこれで直木賞をとらはりました。

本日の野村美術館の講演会は彼をお招きして。とても楽しみ。


この本は、利休の切腹の場面から逆に時代を順にさかのぼり、当時の綺羅星のごとき茶人らの独白で利休その人となりをうかびあがらせ、最後に、なぜこれほど利休は「美しいもの」に執着したのか、その原点が作家の自由自在なイマジネーションで明らかにされる物語です。

夢中になって読みました。

出てくる登場人物が日本史、茶道史で有名な人ばかりなので、その人物たちにどのように血をかよわせるのかが、腕のみせどろですね。(秀吉、家康、三成はもとより、織部、忠興、宗二、古渓和尚、宣教師ヴァリニャーノまで)





ほかにも松本清張賞をとった「火天の城」は映画化されましたし、江戸時代の京ことばがはんなりとして、舞台となった寺町あたりの風情がめにうかぶようなとびきり屋見立て帖シリーズなどもお書きです。


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私とほぼ同年代、京生まれ、京育ちの京男ゆえ、お茶はずっとお稽古されているのかと思いきや、実は利休の物語を書こう、とおもいたってから初めて数年お稽古されただけだとか。
(それであれだけ書けるんだ〜[E:coldsweats02])


戦前は、京都のお寺も今のように観光資源ではなく、お高くもなく、普通に学生を下宿させていたそうで、山本さんのお父上も大徳寺の聚光院に下宿されていたそうです。
結婚後、山本さんが生まれた後も、聚光院のご住職は大家さん的な存在だったようで、子供の頃からよく遊びに行かれていたとか。

聚光院と言えば、利休の墓があり、かつては利休自刃の場といわれた(後年否定されている)閑隠席がある塔頭なので、山本さんが利休を書こうと思われたのは、必然だったのかもしれません。

(ちなみにお父上は下宿中、閑隠席でよくお昼寝されていたとか。ええ時代だったんですねえ。うらやましい)

なので、お茶のお稽古も聚光院(表千家)へ通われたのも必然(^_^;

P1000761(南禅寺:野村美術館のお隣)


利休のわび、さびとえば、一般的にはそのイメージは枯れて淡々とした感じなのだが、利休好みの道具、真塗り手桶水指、利休型棗の曲線に山本さんはえもいわれぬ艶っぽい、なまめかしいものを感じられたそうです。
それが利休について書こうと思ったきっかけだったとか。

ただ、枯れた人ではない。
ある意味悟りをひらいたひとであるが、悟りの境地とは決して枯淡なものではない。
すざまじいパッション(情熱)の人であろう。


利休が生きた時代、それは日本史上でも類を見ないダイナミックな時代であったこと、その時代背景についても海外にまで取材に行って調べられたそうで、その取材話もまじえていろいろおもしろい話をうかがう。


私は(愛読書の)「へうげもの」の織部のセリフを思い出しました。

「なんというすざまじい時代におれは生きておるのだ。」




P1000762(野村碧雲荘わきの疏水分線)
イエズス会のヴァリニャーノの章では、かれは「日本人が、鳥かごの水入れくらいにしかならぬ土くれ(=茶入)に城一つくらいの金をはらうのは理解できない。」というくだりがあり、実際彼の日誌にはそういう日本人の(理解しがたい)美意識について否定的に書かれており、その抜粋の朗読もきかせていただきました。

物語では、ヴァリニャーノが

「日本の貴人方が、なぜそのようなちいさな壺(茶入)に、大金をお払いになるか、理解できるヨウロッパの人間はおらぬと存じます」

それに対し秀吉は

「南蛮人がなぜ、ただの石ころ(=宝石)に何千ドゥカードもの銀を払うのか、わしにはまったく理解ができぬ。」
「茶入ならば、すくなくとも茶を入れるという役に立つ。宝石は、ただの飾りになるだけでなんの役にもたたぬではないか」



秀吉万歳![E:happy02]

いや、洋の東西の美意識、価値観の違いがよくあらわされていてとてもおもしろい。

さて、最後になぜ秀吉は利休に死を命じたのか。


「ただ、キライだったのでしょう。」

[E:coldsweats01]実も蓋もありませんが、案外真実はそんなところなのかも。

秀吉のまえで、平伏はしながらも、「美に対する意識は私の方がはるかに上。おまえはなにも美のことがわかっちゃいない。」と心で思うことが唇の端ににやっとでていたのではないか。

そして利休の美への我執といえるほどの追求の源が高麗の美少女への恋と死であった、とするのは作家にだけ許される自由なイマジネーションの世界。
その美しいイマジネーションの世界で、本の表紙にもなっている一本の木槿の花は、利休の美をその生涯にわたってささえた象徴。

その言葉もうまく通じない少女と若き日の与四郎(利休)のやりとり、「槿花一日自為栄(木槿は一日しか咲かないがそれでもすばらしい栄華である)」という白居易の漢詩で心が通じる場面が美しく、また新たな利休像を造られたな、と思います。

なんでもまもなく映画化されるそうなので、だれが利休をやるのか、とっても楽しみ。

とりあえず、もういちど読み直してみなければ。








P1000764


(ちょっとプチ旅行にでます。お返事等おそくなります。ごめんなさい)


posted by しぇる at 20:00| Comment(10) | TrackBack(0) | お茶と着物3 | 更新情報をチェックする
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