2012年09月24日

人間国宝・江里佐代子の截金〜香雪美術館

このところ美術館めぐりばかりでございます。

でもあちこちであまりに魅力的な展示がおこなわれているんですもの。
行かないわけには!



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ところは阪急御影、神戸の「六麓荘」といわれる超・高級住宅地。



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朝日新聞創設者、村山香雪こと村山龍平のコレクションを収蔵する香雪美術館

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村山龍平は、藪内流茶道を修め、先日書きました住友春翠とも交流のあった、財閥数寄者のひとりです。
この美術館は、広い旧村山邸(重要文化財)の庭の一画にあります。



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美術館の応接室からちらりと見える旧村山邸。(ふだん非公開)
HPをみると近代数寄者のどなたにも遅れをとらない、数寄をつくしたすごい大邸宅のようです。

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藪内家の燕庵写しの玄庵という茶室もあります。(これも非公開)

庭園は年に何度か公開され、年に1回は玄庵で藪内流の茶会(点心は吉兆[E:lovely])がひらかれます。
(かつて阪神間に住んでいたときに、行こうとしてチャンスを逃したことあり)



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さて、今回目的の展示はこれ。
当時最年少(56歳)で人間国宝となり、5年前62歳の若さで異国で急逝した截金(きりかね)作家、江里佐代子の作品展。


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実は截金の作品には以前から少し興味があったのですが、先日NHKの番組で、彼女の生前のドキュメントの再放送があったのです。
(『NHK工房探訪・つくる  截金 江里佐代子』 1990年9月放送)

しかもそこに写された工房はなんと!
いつもの散歩コースの謎の家、ご近所だったんです[E:coldsweats02]
表札もない、かわったデザインのお家だな、となんとなく眺めていましたが、そのデザインが截金のモチーフだということに今やっと気づきました。
平安佛所

放送は現在行われているこの展示会にあわせた再放送のようで、これは行かずばなりますまい。


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截金は細く切った金箔、銀箔、白銀箔を筆と接着剤を用いて貼ることによって文様を表現する伝統技法。

日本では古く奈良時代から存在し、本来仏像・仏画の衣や装身具を荘厳するためのもの。


江里さんはもともと仏師である夫君(江里康慧氏)の彫った仏像を截金で荘厳する仕事をされていたのですが、そこから独自の技法、デザインを発展させて工芸品、美術品の作家となり、その技量をみとめられ人間国宝になった方。


京都迎賓館の舞台扉の截金でも有名ですね。


TVではその創作課程も見ることができましたが、まあ実に細かい細かい、しかも緻密な作業です。

まずはその金箔を切ることから、高等技術。
竹刀という竹の道具で細く太く、様々な太さに切っていくのですが、細いものは髪の毛よりほそいんじゃないかと思います。
しかもちゃんとまっすぐな、同じ幅の直線になっていなければ作品には使えません。


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(購入した絵はがきより)


これを2本の筆をあやつって貼り付けていくのですが、下絵はあってなきがごとし、勘だけで貼り付けていくのにあの幾何学的模様(少しでもずれたら総崩れ)がびし〜っとそろうのはまさに神業です。


展示は、御夫君の仏像に荘厳したもの、香合や盒子などの小物、風炉先や衝立などの大きなものまで。

截金制作工程の写真解説も興味深く、さらに竹刀で切った箔の糸を太さ別にそろえてしまっておく引き出しなどもありました。

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(パンフレットより)

まあ、どの作品もどうやって、どれだけ時間をかけて根気よく完成させたのか?と不思議におもえるくらいのすばらしいものばかりで圧倒されました。

すごい、、、、


パンフの右下の方にあるのが截金を漆でカバーする技法を用いた棗。
なにしろ棗は帛紗でふきますので、截金だけでは剥がれるのです。

そこへ漆を塗ると、最初は漆の黒っぽい色にかくれてうっすらとしか見えないのですが、なんと時が経てばたつほど漆は透明になって、下から截金が浮かび上がってくるのですって。

この棗は、赤っぽくなった漆を透かして、かなり明るく截金が見えるようになっています。
いいな〜[E:lovely]
(ちなみに漆は経年で赤く透明になるのです。これがまたいいんです。先日楽美術館の鑑賞茶会、楽さんと一閑さんの合作の暁塗りというのがありましたが、まさにこれかな)


まだまだこれから、というときに講演、取材先のフランスで脳出血で急逝されたのはほんとうに残念なことでした。


でも現在は、彼女が指導した若い世代(長女の左座朋子さんなど)が育ちつつあるようで、工芸展などで截金作品を見る機会も多々あります。

いつかは、なにかひとつ、茶会・茶事に使えるものを手に入れたいものです。


posted by しぇる at 20:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 美術館 | 更新情報をチェックする

2012年09月22日

梨木神社・萩まつり〜チャリで御所西めぐり

よい天気にめぐまれた初秋の一日、チャリをとばして梨木神社へ。

こちら22日、23日の両日萩まつりがおこなわれています。


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なにしろ神社に行く道すがら、寺町通りにも萩がいっぱい植えられているのです。


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鳥居をくぐると両脇に萩がしだれかかっていますが、花はまだ少し早いようです。



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萩の枝につるされた短冊には、いろんな一が歌をしたためています。
授与所で短冊をもらって、だれでも書くことができるので、歌心のあるかたは是非。


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梨木神社にはなにげなく行っていましたが、実はすごく新しい神社だったんですね。

幕末のお公家さんで、維新の原動力の一端をになった三条実萬公、実美公父子が御祭神なので、明治の神社。
三条家の旧邸のあった梨木町にちなんで梨木神社と。
(へええ〜〜知らんかった[E:coldsweats02])




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萩まつりの間、神殿の前では狂言や弓術などがおこなわれますが、私が行ったときには上方舞をされていました。

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神社のお茶室では、いくつかのお社中がお茶の教室をされています。
(かのランディ先生もね)




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萩まつりではそのお社中が交代で抹茶席を設けられ、今年はちょっとお世話になっている先生がお手伝いされる、というので参席させていただきました。



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こんなすてきな環境で、お茶のお稽古できるなんていいですね〜。
(しかもお茶はつねに染の井の名水だし)



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茶道の心得のあるものもないものも、萩の季節を愛でつつ、ごいっしょに一服のお茶を楽しむ。






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床の花は、わ〜い、山芍薬のはじけた実だ!
我が家のはまだはじけてませんが。

山芍薬はどうしても葉の水上げがむつかしいようです。



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本席の後は茶道学園の生徒さんによる副席もあって、こちらででた富山の不破福寿堂の鹿の子餅、おいしかったわ[E:delicious]



六角形のめずらしい風炉に灰型がこれまたお見事でした。
さすが!


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境内の名水、染の井。
残念ながら萩まつりの間は汲み取りできません。
お茶席で、いただいたから、ま、いいか。



せっかくここまできたので、先日鑑賞茶会に行ったにもかかわらず、時間がなくて見ることができなかった特別展示を見に、楽美術館へチャリをとばして。


御所東の清和門から、自転車にのりにくい砂利をふみつつ御所をつっきって蛤御門から出て、ひたすら西へ。

と、思うまもなく油小路の楽美術館へ。


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ほんとうに洛中のこの距離感がとってもいいわ。
チャリでたいていのところには行けるんですもの。


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今回は楽茶碗だけでなく、大西家歴代の釜、宗哲・一閑歴代の漆器が拝見できるのがうれしい。

とくに釜は大西初代の浄林、楽さんが一番好きだという二代浄清がならんで展示。

このころはまだ大西家は千家とあまりかかわりがなく、遠州流、石州流の釜を作っていたとのことで、確かに武家好みかも。
浄林はやっぱり鐶付きがおもしろい。
ストイックな感じではなく、多分な遊び心があるような気がします。


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入り口のお花も、かわっていました。
どなたがいれられるのか、館内の竹花入、籠花入、秋の草花のなげいれが見事でした。


さて、せっかくここまで来たのだし、チャリなんだし、ここからちょっと上へ登って武者小路通りへ。


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外から眺めるだけですが、官休庵
武者小路千家。
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若宗匠の宗屋さんは、インテリでたくさん本もだしてはって、ご活躍中。
(ご著書、おもしろいです。「茶―利休と今をつなぐ」「もしも利休があなたを招いたら」など)

こちらで中に入ってお茶をいただける催しもあるのですが、曜日があわず断念。

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武者小路千家の生け垣は枳殻(カラタチ)。


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なんとそのお隣は(千家十職の塗師)中村宗哲さんのお宅なんですよ。


さて、そのまま東へ向かい、烏丸一条虎屋菓寮でむしやしない(軽食)を。


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青大豆ごはん。
来月から小豆ご飯にかわります。
こちらも楽しみ。
posted by しぇる at 21:23| Comment(4) | TrackBack(0) | お茶と着物3 | 更新情報をチェックする

2012年09月20日

東博・秋の特別公開にて「流れ圜悟」

ここは上野の森。
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連休とあって、上野駅周辺は家族連れで賑わっていましたが、影も長くなる時間、帰る人の方が多い具合でした。


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上京の帰りに時間の許す限り、こちら東博(トーハク)こと東京博物館で。


正面の本館(重要文化財)は昭和初期の建物ですが、博物館自体は明治5年に創立された日本初の博物館。

入場料は、、、と思っていると、

ななな、なんと!
この日は敬老の日なので入場無料!(もちろん敬老年代でなくても[E:coldsweats01])
太っ腹!!

(しかも展示物の写真撮影もOKだなんて、、、泣かせるほど太っ腹!日本にもこんな博物館があったのね〜[E:happy02])




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本館の向かって左、明治42年、皇太子(後の大正天皇)ご成婚を祝って作られた表慶館 。
重要文化財です。
あの時代の雰囲気がよくでている感じです。

さて、展示品ですが、真剣に全部見ようとしたら、ルーブルや大英博物館みたいに泊まりがけでそれだけのために1週間はかかるのではないかしら。

残念ながら時間もあまりありませんでしたので、見る物を超しぼっての本館入館。

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重文だけあって、建物自体がまたいいのよね。
重厚で。
いくらゴージャスでも大規模でも、モダンな建物っていまいち惹かれません。


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陰翳礼賛。

今回の中で一番お気に入りのショット。

静かに座って、展示品を検索する人。




さて今回、どうしても東博へ、と思ったのはこれが出ているからなんです。






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国宝「流れ圜悟」


宋代禅林の巨匠・圜悟克勤(えんごこくごん:1063-1135)が,その法嗣の虎丘紹隆に与えた印可状の前半で、現存最古の墨蹟、さらに古来墨蹟の第一とされてきたもの。
(圜悟はかの禅の公案集「碧巌録」を編んだ人)

村田珠光が一休宗純から与えられ、床に掛けたことから茶席に墨蹟を掛けることが始まったといわれます。


なので、お茶をやっておられる方なら名前は一度はどこかで見たり聞いたりしていると思います。
、、、、のわりには名前ばかりでどんな墨蹟なのか知らない人が(私も含め)多いはず。


なぜに「流れ圜悟」といわれるかというと、昔、薩摩は坊津の浜に桐の古筒に入れられて流れ着いたという伝説があるから。
(真偽のほどは不明、でも大陸からこういう漂流物が流れ着くことは実際によくあったそうです。)



印可状の前半なら、では後半はどうなったか?
現在その存在はわかっていないそうです。

東博の説明文によると、これを半切したのは伊達政宗だということですが、これにも諸説があって、実際これを切るなどという事ができたのは、政宗の茶の師匠であり、当時天下一宗匠であった古田織部くらいしかいない、という説もあります。

半切したのは墨蹟としてちょうど良いサイズに大胆にもしたかったから、、、といわれると、あの男ならやりかねん、と思えますね。(「へうげもの」の愛読者ですので[E:coldsweats01])

大徳寺大仙院,堺祥雲寺伝来、のち松平不昧公の所蔵となり,その子孫である松平直亮氏(明治〜昭和)によって、東博に寄贈されたもの。

で、、、、さっぱり読めません。

一応活字にしたものが添えられているのですが、こんなむつかしい漢文、だれも読めないよ〜。

読めないけれど、この墨蹟の背負ってきた歴史、経てきた人の手、、、を思えば、相対して感慨いと深し、の思いです。




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他にもかの有名な(教科書に載っている)一休和尚像、佐竹本三十六歌仙断簡うち壬生忠峯、高野切、寸少庵色紙などの展示も見ました。



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(芦屋釜)

あとは時間が許す限り、茶道具を中心に見て回り、、、


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(彫三島)

心から満足して、上野の駅をあとにしたのでありました。




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(景徳鎮・青花魚藻文壺)
posted by しぇる at 20:00| Comment(10) | TrackBack(0) | お茶と着物3 | 更新情報をチェックする
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