2012年07月04日

北寺町あたり・廬山寺〜梨木神社

寺町通りも丸太町から北は御所の東になるので、雰囲気が南よりかなりかわります。

北寺町、、、というのは私が勝手に名付けただけですが[E:coldsweats01]







P1030272

丸太町から北上していくと、このりっぱな門が。
旧九条殿河原町邸から移築したこの門をいただくのは京都府立鴨沂(おうき)高校。

日本最初の女紅場(女子教育の場)からの伝統をうけつぐ高校ですが、私にはジュリー[E:heart01]がいた高校、というので大学時代憧れていって見たことがあるんですよ。(まあ、今の若い人にジュリーといってもわからんか、、、、沢田研二さんのことね)




P1030276

先日の廬山の茶会に刺激されて、、、というわけではありませんが廬山寺へ。
もっともこの廬山寺(廬山天台講寺)という名前は中国の廬山からとったものだそうですので、あながち無関係ではありません。



P1030279

入ってすぐの開基・元三大師堂から寺町通りをふりかえる。

元三大師とは10世紀に活躍した比叡山の高僧・良源のこと。
おみくじの発明者としても有名ですが、もっと有名なのはこのお姿。

P1030280

角大師とよばれるお姿で、元三大師が厄神を払うための姿といわれ、いまでは厄除けの御札として京の家々でよく見ることができます。


P1030282

こちらは桔梗の庭としても有名なのです。

P1030284

ちょうど見頃をむかえています。
雨の中、どの花もあっち向いているのが少々残念。

P1030291


廬山寺と言えば、節分の鬼法楽をおもいおこされる方も多いでしょうが、残念ながらこれはまだ見に行ったことがありません。

P1030295

紫の桔梗、美しいです。

英語ではbaloon flowerと即物的な名前。たしかにつぼみは風船みたいですが。
西洋人はどうも理が勝っていけない。
オシロイバナも夕方4時頃咲くからfour-o'clockだって。






P1030293


もうひとつ、ここで有名なのはこの辺り一帯が紫式部の邸宅跡だったということ。

P1030290

彼女の曾祖父、藤原兼輔が鴨川の西堤のこのあたりに邸宅をかまえていたことから堤中納言の名で知られていたそうで、式部もここで結婚生活をおくり(当時は通い婚)、娘の賢子を育て、源氏物語を執筆したといいます。

(「堤中納言物語」はここからきたのか!ただし、どうしてそういうタイトルになったか全く不明、、、とのこと)

P1030296

境内にある、紫式部と大弐三位(娘の賢子)の歌碑。
ここを式部邸と断定した考古・歴史学者・角田文衛の手になるもの。

(めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな/有馬山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする)
 
                            

さて、見所の多い廬山寺、もうひとつあるんです。



P1030303

墓所に通じる細い道をゆけば、、、、

P1030301_2

お墓の向こうにこんもりと、、、、
(墓場ちょっとこわい〜、、、[E:shock])


P1030299

そう、秀吉の御土居あとがこんなところにも残っていたんですねえ。

P1030300

足元にはどんぐりの実がいっぱい。


P1030304

P1030274

さて、廬山寺のほんとにお向かい、こちらは梨木神社。





P1030310

秋の萩祭で有名ですが、まだつぼみが少々、、、といったところです。

P1030305

なんといってもお茶人さんには名水・染井が有名。



P1030306

こちらはほんとうに水の量が豊かで、無料でいただけるため、いつもは多くの人がポリタンクをもって並んでおられますが、さすがに大雨の日にはどなたもおられません。
(雨中をくる私は酔狂な人、、、でしょうかねえ)



P1030307

お水を一口いただいて振り返ると、桂の木の葉がリズミカルで美しい影を作っていました。


さて、最後に、、、、

このブログを立ち上げてからもう5年以上になりますが、その間いろんなところへいっしょにでかけた相棒がついにご臨終です[E:weep]



P1030313

画像のほとんどはこの相棒が撮りました。
使い方が荒っぽいので表面傷だらけですが、どれも思い出のしるしです。

長い間、ほんとうにありがとう。


posted by しぇる at 23:35| Comment(16) | TrackBack(0) | 京都めぐり2012 | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。