2012年05月26日

十三世襲名記念 坂 高麗左衛門展

高島屋へお買い物のついでに、時間があればいつも美術画廊へ。

今回萩焼の坂 高麗左衛門さんの13世襲名記念の展示会によせてもらいました。

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高麗左衛門は萩焼でもっとも伝統と格式を誇る名門名跡です。

遡ること約400年、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役、朝鮮では壬辰倭乱、俗に茶碗戦争ともいわれた)の時期に、萩藩初代藩主・毛利輝元が朝鮮から連れ帰った陶工、李勺光、李敬の兄弟のうち、李敬以来の血筋。

李敬は2代藩主・毛利秀就より「高麗左衛門」の名前を賜り、江戸時代は毛利家の御用窯だったそうです。

李兄弟については、以前ブログでとりあげました申 翰均さんの「神の器」にも登場していたので、なんとなくなじみのある名前です。
(当時、朝鮮から半ば拉致されて来日した陶工たちの心情や、萩藩における待遇など書かれていて、おもしろい。特に井戸茶碗にご興味のあるかたは是非ご一読を。)


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場内は茶碗をはじめ、花器、水指、懐石の器など、これぞ高麗茶碗の流れをくむ萩焼!という作品がならびます。

上記の、秀就から「高麗左衛門」を賜った時の任状の軸装(レプリカ?ホンモノ?)も飾られています。
墨蹟もあり、古筆切も掛けられ、さらに会場のあちこちに、青竹を切っただけの花入れに、種々の茶花がすばらしくすてきに投げ入れられています。

秀就の書状の前にはなんと、めったに本物をみられない熊谷草が[E:coldsweats02]
(これって敦盛草と親戚なのよね。なんて平家物語的ネーミング[E:heart01])

まるでいままさにお茶会の席にいるよう。
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さて、萩焼きはあたたかいベージュ色で、新品はどちらかといえば深みがない感じがするのですが、実は使ってこそ真骨頂を発揮するのです。
よく知られた言葉に「萩の七化け」というのがあります。

萩焼の土には、浸透性があり、使っているうちに表面の細かい貫入をとおして、茶がしみこみ、やがて年月とともに微妙に変化して、何とも言えない風情を醸し出す事から、そういうらしいです。





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ちなみにこれは2年ほど、わが家で使い込んだ田原陶兵衛工房の萩焼。
貫入の色が少し目立つようになって良い感じになりました。
手に入れたばかりのときはつるんとしていたのですよ。
(これをだすためにしょっちゅう使っているようなもの[E:coldsweats01])


さて、会場の軸でどうしても一字読めない字があって、指で書き順をなぞったりしていると、感じのよい初老のおばさまが「これは龍驟鳳翔(龍はしり鳳かける)と読むんですよ。」と教えて下さいました。
会場のスタッフさんかなあ、、と思いつつなにげに御礼を言って、退去したのですが、、、、


あとで調べてみるとあの方が十三世高麗左衛門さんご自身だったとは!!

先代(12世)が50代の若さでお亡くなりになったあと、しばらく空席だった高麗左衛門を継がれたのが先々代(11世)の娘さんで、坂家始まって以来の初の女性当主だったんですねえ。
女性とはつゆ知らず、、、、

私ったら知らないとはいえ、なんと失礼なことを(大汗)[E:coldsweats02]


花の絵付けのある作品もあったので、萩にしてはめずらしいなあと思っていたら、高麗左衛門さん、陶芸をされる前には日本画をされていたんだそうです。
そんなことを予備知識として持って行っていたら、もっとしっかり見ることができたのにね。
反省。







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反省しつつも、こんなきれいな和菓子(虹、雨上がり)をいただいたあと、早速例の萩焼茶碗で薄茶を一服、自服にて。


posted by しぇる at 01:01| Comment(18) | TrackBack(0) | お茶と着物3 | 更新情報をチェックする
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