2012年02月20日

柳 宗悦展ー暮らしへの眼差しー〜大阪歴史博物館

京都は大雪なのに、大阪はからっと晴れているのはナゼ?[E:coldsweats02]


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こちら、谷六(谷町筋六丁目)にある大阪歴史博物館
(大阪はこういう大きな箱物が好き、、、)


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この地球がめりこんだようなガラスの建物は隣接するNHK大阪への連絡路なんですよ。

難波宮史跡公園のとなりに建てられ、地下にはこの遺跡をみることができます。

なには(難波?)ともあれ、本日の目的はこちら。

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民藝の創始者であり、哲学者、思想家、宗教者、、、多彩な顔を持つ、柳宗悦。

名もなき職人たちの手による、日常生活の品々、その中に宿る「健康的な美」。
それを日本全国(朝鮮、イギリスと海もこえていますが)津々浦々から、彼が蒐集したコレクション=日本民芸館所蔵の展示です。

昨年は柳没後50年、日本民芸館開館75周年だったのですねえ。

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柳の業績に興味を持ったのは3年前、大阪日本民藝館をなにげなく訪れたときからです。
著書「茶と美」を読み、その茶への考え方にいたく感銘をうけまして、久松真一先生の著書とならぶ、私の茶の指南書となりました。
(当時の家元制度を激しく攻撃したことから、家元周辺の方々からはいろいろと評判はよくないようですが[E:coldsweats01])


そしてその次に柳とまたであったのが浅川兄弟を知ったときでした。

当時朝鮮に住んでいた、名もない若い浅川伯教(兄)が李朝の白磁を土産に携えて、柳のもとを訪れたことから実は民藝は始まった、といってもいいのです。
(弟の浅川巧の生き方には感銘深い物があり、機会があれば是非彼らのことを知って下さい)


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このポスターの右下にある写真がその時の李朝白磁「染付秋草面取壺」です。

のちに浅川兄弟らと柳は京城(ソウル)に「朝鮮民族美術館」を開館させるのですが、開館に当たって朝鮮の同和政策をおしすすめていた朝鮮総督府(日本のお役所ね)から再三「民族」の名を消すように命じられましたが、妥協しなかったそうです。





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彼の蒐集は陶磁器にとどまらず、漆工、金工、布、和紙、人形、民画、、、など多岐にわたり、しかもそののめり込み方がすごい。木喰仏を再発見したのも彼だし。


さらにバーナードリーチ、富本憲吉、河井寛次郎、黒田辰秋、濱田庄司、芹沢鮭介など綺羅星のごとき民藝人脈。

72年間の人生で、これらすべて彼一人の「美」のゆるがぬ指針で成された仕事なんだと思うと驚嘆を禁じ得ません。



「イマ見ヨ イツ見ルモ」
「ミテ知リソ シリテナミソ」

作品を前にするとき、どうしても見る前に解説を読んでしまう私。
そういう知識が邪魔になって、本当の美と対峙することができない、、と戒めているのですね。
彼ほどの審美眼はありませんので、ついつい解説に頼ってしまう。
イケナイ、これでは。


「茶事に心を入れる人はとかく茶事に囚われの身となる。そんな不自由は茶にはないはずである」

これはまたむつかしい命題なんです。
自由をとれば、とがめる人あり。また自由は放縦であることとはちがうので、なんでも自由にやればよい、というものでなく。




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(NHK大阪側から)

今回、よき巡り合わせが実はありました。
以前から気になっていた古丹波の茶入があったのです。
その仕覆が「丹波布」で、しぶ〜い黄色。
これはなんだろう、、、と心惹かれつつもそのままにしておいたのですが。

今回の展示の中で見つけたのです。
丹波布!

これも京阪の丁稚さんの布団布としてよく用いられたという名物裂でもなんでもないのですが、これを京都の弘法市で発見し、気に入って片っ端から買い集めたとか。

横糸に木綿、縦糸に何筋かに一筋、絹のくず糸をからませた兵庫県氷上郡の手織物、柳は「もしこの布が早く知れ渡っていたら茶人などは好んで袋物や仕覆に用いたであろう。」と。

これを知ったからにはやはりどうしても、、と入手しました。(あら、やっぱり知識先行ね[E:coldsweats01])
事実、柳に近い方が所持しておられたそうです。

いつかまた、茶席にておひろめいたします。


posted by しぇる at 20:00| Comment(4) | TrackBack(0) | お茶と着物3 | 更新情報をチェックする
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