
このいつも通る道に突然現れた、あざやかな彼岸花の一群れ。
うれしい驚きです。
夏の間、暑くてご無沙汰していた野村碧雲荘周辺の散歩道ですが、もう秋の気配がほのかにただよっています。

細川様のお屋敷の楓もほんのり色づいてきました。

なびきかへる花の末より露ちりて萩の葉白き庭の秋風 (玉葉集)

秋雨にしっとり、野村美術館へ通じる疏水分流。

分流べりに群生しているマメ科とおぼしき花。
秋らしく、派手やかさはないけれど、群れるときれい。
名前がわからんのです。
こんな花なんですが。
(Ishii様、 nageire様のおかげでアレチヌスビトハギという帰化植物と判明いたしました)

さて、夏の間おやすみだった野村美術館の定期講演会、4回目になります。

少し早めにでかけて、この秋のテーマ「錦秋のころ〜月・菊・紅葉を愛でる」を拝見。
秋にちなむ道具がまんべんなく。
いいですねえ、、、、、ため息。
さすがに野村得庵、趣味がおよろしいわ。
二畳の茶室仕立ての展示室に、秋の茶会の見立ての道具組があり、やはり茶道具はこうやって他の道具とのとりあわせ、バランスでみせるものだと思いました。
単品をぽんと展示されているより心に残ります。
天明の車軸釜が抜群の存在感でした。
野村の主席学芸員、谷先生は現在韓国茶道にこっておられるようで、地下の展示室では韓国茶道についての展示があり、それに付随して、野村所蔵の高麗茶碗がいくつか展示されています。
井戸茶碗、、、ええですねえ〜[E:lovely]
神の器の作者の申 翰均さんの現代ものの高麗写しもよいですよ。
講演会の前には恒例の、野村所蔵茶道具による呈茶。
お軸は片桐石州の「塘蜍送花影」。
(月に住むといわれる塘蜍=ヒキガエルが何の花かは知らないが、月の花の影を送ってきている)
花器がこれまたすごくて、3〜4節の尺八のような竹の一番下の節に口をあけ、萩の花が投げ入れられていました。
いいなあ、、、これ。
藪内流(徳庵さんはこの流派)清隠斎による。
銘も「猿猴捕月」とは。
これまた普段はガラスの向こうになるような茶碗で一服、私には江戸時代の絵唐津があたりましたよ。
本日の演者は大徳寺別院・徳禅寺のご住職。
徳禅寺を明治維新の荒廃から建て直した、かの立花大亀和尚のお弟子さんになります。
実はこの和尚さん、以前淡○社のお稽古茶事の節におめにかかっています。
裏千家茶道学園の茶事指導をされていた関係から、お茶との関係が深い方のようです。
今回の講演は和尚が徳禅寺へいはることになったいきさつや、師の大亀和尚の話、徳禅寺の由来、利休の禅修行はどのようなものだったかを古書から読み解く、、、というものでした。
有名な考案や、禅にまつわる逸話を知っていないと、ちょっとむつかしい内容です。
前から大徳寺のかたすみにある徳禅寺については、なんでわざわざ○○院という塔頭ではなく独立した寺なんだろう、と思っていました。
和尚の話によると、徳禅寺開山の徹翁義亨(大燈国師の法嗣)が、もし幕府に大徳寺がつぶされることあらば、(紫衣事件などありましたし)ただちに徳禅寺を切り離して独立させ、ここで大徳寺の流れを断ち切らないですむように周到に用意したもの、ということです。
やっとその役割について納得。
さらに徹翁和尚は大徳寺直系の弟子僧侶すべてに「宗」の字をつけたことから、お茶名の宗名をつけることになったのではないか、とのこと。
私たちの茶名の由来をやっと了解。
大徳寺で参禅された利休居士の如く、われわれの茶もまた禅思想からかけはなれてはいけない、ということ。
長い歴史のある宗名、その名に恥じぬよう、その重さを感じつつ精進精進。